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あるカフェで、夕方ごろに。

目の前に男女2人組がいて、
女が豚のように食べ物をほおばりながら、
男は何かを見つめながら話の種を探している。

女が短い後ろ脚を組み直したときに、
カウンター近くのテーブルにいた3人が帰り支度を始める。

一人が会計を済ませる間に、
あとの2人がこの後の計画を話しながら荷物を片づけ始め、
隣で静かにしていた犬を抱えて店を出ていった。

店はクリスマスに備えて少しずつ飾りを増やしていく途中のようで、
僕との対角線の、まだ飾りが全くないエアコンの真下には、
僕と同じように本を読んでいる女性がいる。

それにしても目の前の女性の方は
話のくだらなさを、下品な話題と人への批判で
埋め合わせようとする癖があるようだ。

そこにいらつく僕の隣の席に、
マルチーズをつれた老夫婦がやってきて、
コーヒーとケーキを注文した。

隣に犬が来たことで、一気に店全体の印象が変わった気がするところに、
僕のいい加減さを感じてしまう。
今のところ、犬は存在レベルで僕に優しい。豚よりもかわいい。

醜いと思ってしまうことと、美しいと思ってしまうことが、
うまい具合というわけでもなく、ごくごく現実的な程度でバランスを取っている。

目の前の男がパソコンを開き始めた。
豚はスマートフォンに鼻息を吹きかけている。

おそらく目の前の2人組は想定内の範囲で品が悪いし、
マルチーズは想定の範囲内で自由に振る舞う。
僕は僕の予想を超えることをすることも考えることもできない。

向こうに、茶色のプードルを連れた女性が一人入ってきた。
僕と老夫婦に注文を聞きに来ていた男性店員ではなく、
奥にずっといた女性店員が注文を取りに出てきた。

彼女をうらやみたくなるほどの雰囲気はない。

右を向くとマルチーズと目が合い、
遅れて、そのことに気を使うご主人の目が続く。

いま、犬を中心に、無関係の壁が崩れかかっている。

なにが起こるか分からないことに干渉できることは、
場という面でも、タイミングという面でも、それほどありふれてはいないように思う。

ほとんどのことは想定内で、
勘違いではあるのだが、僕らは地震でさえ想定に入れようとしている。

僕は世界を少し変えてしまう覚悟をして、マルチーズに触れることにした。

予想がつかず、変わりうることをするときは、
それで変わらないことに対する覚悟も必要である。

変わるのか、変わらないのか分からない中、期待とともに、手を伸ばそうと思う。

そう思って、タイピングをやめた時、
老夫婦は席を立って僕の右手をすり抜けていった。

そして不機嫌そうな豚が、一匹で帰った。
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さて、こんなFacebookでどう振る舞おうか

昨日のFacebookに関する話から、
次は、そこでビジネスをするにあたって、どのように振る舞えば良いのかを考えたい。

これは「スタンス」の話ではあるが、
昨日の話(リンク先は冒頭と同じ)を踏まえての話なので、
ただスタンスだけを述べるのとは違う語り方になってくると思う。

ビジネスなのだから、
まず、ビジネスである限り、
その目的は「Facebookで話題になること」ではないが、
一方でFacebookで直接取引を成約できるかというと、それにも適していないとも思う。
(集団でお喋りをしているところに露骨に営業をかけるというのは賢い策とは言えないだろう)

とはいえ、「Facebook内で話題になること」を避けては通ることはできない。
話題にならなければ、何もないことと同じである。

そこで、「何のために」、「どのように話題になる」のかという2点を考える必要がある。

では、何のために
結論をいうと、Facebook施策の役割としては、
「幅広いユーザーにとって嬉しい情報を拡散すること」
「ユーザーからのイメージを企業にとって好ましいものに変えていくこと」の2点に尽きると思う。

クーポンやセールなどを頻繁にやっていく比較的カジュアルなビジネスであれば、
前者の施策の効果が顕在化しやすいだろう。

ただし、コアなファンは公式サイトや公式ブログなどの情報をチェックしているだろうから、
Facebookではより幅広いユーザーに喜ばれるキャンペーン情報などを提供するのに適していると言えるだろう。

値引きをよくするわけではなく、あまりカジュアルでないビジネスに関して、
例えば購入頻度が低く、値引きも効かないSUUMOのようなビジネスでは、
Facebook施策はイメージを良くしたり接触頻度を増やすことで他施策の効果を高める役割を担っている。

suumo好意度・利用意向グラフ
出典:「Facebookはファンを増やすだけでは意味がない!リクルートSUUMOから学ぶファン獲得・運用・効果測定方針」

つまり、Facebookからの購入は増えなくとも、
想起率上昇(思い出しやすくなる)による検索時のクリック率増大や、
Eメールの開封率上昇、店頭での入店率増大などの間接的な寄与を期待している。

Facebookだけでは不十分
そう考えると、Facebookでこのような形で施策をする場合、
ユーザーの購入タイミングに、適切な経路にきちんと販売網を敷いておく必要がある。
(確か、このような考え方を「インバウンド・マーケティング」と呼ぶらしい。たぶん)

検索して購入する人にはSEO、店頭で購入する人用にPOP、
Eメールの題名にブランド名を入れておき、Amazonにも商品を擱いておくなど、
買いたくなった時に買えると気付いてもらえるように準備しておくということが大事ということだ。

ユーザーがすごい買いたいと思っていても時に、
検索して上位に出てこなければ少し怪しく思うかもしれないし、
検索が不便なFacebookからわざわざ公式HPを探してくれるとは限らない。

そんな状態だと、Facebookでいくら良いイメージを醸成しても、成約に至らないということだ。

まとめると、営業トークがしにくいFacebookだけではなかなかビジネスが成立しないため、
成約の部分は他のプロモーション施策などに任せて、
Facebookにはお得情報拡散と、ユーザーとの関係を良くしていくことに注力することになる。


Facebookが話題に出ると、"Engagement"という分かりにくい言葉がよくあらわれるが、
つまりは上記のようにユーザーとの関係の醸成を醸成して企業のファンになってもらうことが大事
だと理解すればいいんじゃないだろうか。恐らく。

どのように話題になるのか
先に述べた「目的」の前者は、「ユーザーにとって嬉しい情報を伝えること」になる。
こちらは分かりやすい。広いユーザーに本当に喜ばれる情報を回せば、それは自然に広まる

一方、後者のイメージ向上に関しては、少し長いが、
「企業や製品/サービスに関しての、引用したくなるほど素晴らしい独自の特徴をうまく紹介する」
という手段をとることになると思う。

そしてここが非常に難しくて、
関係や印象が良くなるような情報を流すことで、
・企業の自己紹介で終わってしまってはいけないし、
・人々が広めたくなってくれないと始まらないし、
・強引に拡げてもらおうとするとその姿が晒されてことになるし、
色々なことに怖れて何もしないと、それはそれで印象が落ちる


Facebookの人は様々な人間関係にさらされているため、
自分の印象を下げるような行為はできるだけ避けたいはずなのだ。

昨日も述べた通り、ユーザーは、
自分の欲求通りの言動をするのではなく
人に良く見てもらうための言動をとりがちになる。

例えば、
芸術的なイラストの紹介だとか、
リア充実状態の写真だとか、
生活の役に立つ裏ワザだとか、
毎日を楽しくする占いだとか、
自分の関わっているボランティア活動とか。

そういう「素晴らしいもの」に「自分が関わっていると言いたい」と思うと
情報をシェアしやすくなるのではないか。

こう考えると、企業は「ユーザーを主役に出来る素晴らしいもの」を提供すれば、
その情報がどんどん拡散していく可能性が高いと言える。

つまり、「良い話題を持ってきてくれるイイヤツ」として振る舞えばいいのではないかと思うのだ。

ただ、これではユーザーのためにしかならない
ただし、Facebookで情報を拡散する時は、
ユーザーが主役になってしまうため、ただ良い情報を与えるだけでは、
「素晴らしい印象のユーザー」が量産されるだけ
である。

それでは、広告塔になってくれたユーザーからの印象しか良くならない。
他のユーザーからの印象にも影響を与えるには、情報自体に「企業らしさ」を含まなければいけない

そのためには、企業や商品/サービスの事実や歴史などの、
「他には真似できない特徴」を情報に盛り込めばいいのではないかと考えている。

例えば、
シカクいアタマをマルくするクイズ
日本を代表するメーカー3社が共同で開発し、世界を驚かせた厚さ1mm未満のディスプレイの記事
素晴らしい景色の中で満面の笑みを浮かべるキャビンアテンダントの画像
上記のようなものは、企業の色が明確になりながらも、
多くの人に薦めたくなるようなコンテンツ
になっている。

その会社の事実や歴史などの特徴を各種コンテンツの中に盛り込むことで、
誰かにシェアされたとしても、その「会社らしさ」も一緒に伝わっていく

他にも、例えば、詳細な情報を公式サイトに載せ、
そこに飛んでもらうことで会社のブランドに触れてもらうという手段も考えられる。

Facebook上にアプリを作って、アクセス時に遊びたくなるような仕組みを作るのも良いかも知れない。

また、Facebookでは画像投稿が効果的(リンク先は英語)だとよく言われているが、
これは、ユーザーにとって理解しやすく、Facebookで目立ちやすい、という理由だけでなく、
「画像であれば企業の特徴を情報に仕込みやすい」というところも着目すべき点ではないかと思う。
Facebook Photo
出典:[Infographic] How to Get More Likes, Comments and Shares on Facebook


Facebookでの振る舞い方は・・・
かなり些細な手法レベルまで話をしてしまったが、
もう一度はじめの問いに立ち返ると、
Facebookのような場所でビジネスを展開するには、
「自分のオリジナルな情報を上手く混ぜながら、ユーザーを主役にする」というスタンスで、
情報を発信していくことが良いのではないかと思う。

この記事の途中では、「お得情報」と「関係構築」を2つに場合分けして考えていたが、
上記のスタンスは2つとも含んだスタンスだと言えないだろうか。

あくまでユーザーが主役の場所なのだから、
そこでビジネスを展開しようとすると、
自社らしさを最大限生かして、ユーザーをより輝かせるというスタンスを取ればいい
という結論は、つまらないかもしれないが、
当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
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「Facebookにいる状態」を考える。

Facebookは人にとってどういう場所か。
そんなことについて考えてみた。

経緯
今年、いわゆる総合広告代理店と分類される会社に入社し、
前職のときよりも多くのメディアに広告を出す経験をした。

新聞広告、雑誌広告、屋外広告、各所ウェブメディアへのバナー、
検索広告(PPC)、Audience targeting広告など。

広告に限らずに言えば、DM(ダイレクトメール)、
e-DM、スポンサーシップ企画の策定などにも関わった。

その経験を通じ、
「各メディアはどういうモノか、というものをもっと考え、確かめる必要があるな」
と反省とともに実感することが増えた。

新聞や、雑誌、ウェブメディアに関しては、
媒体資料や社内のメディアプランナーの話を元に、
「その媒体がどういうものか」、「どういう人たちが訪れるのか」
ということをある程度考えることができ、
「だからこういう広告/施策を行おう」という風な発想に至ることができる。

調べても見つからない
そして今回、Facebookに関する施策に関わることになり、
「Facebookというのはどういう場所なのか」ということを探ろうと考えたのだが、
それに当たるような資料がほとんど見つからない。

前職のときに趣味でソーシャルメディアやFacebook関連の書籍を読み、
今回も一気に数冊ほどFacebookに触れている書籍に目を通してみたが、
それらはFacebook単独のことを扱っていなかったり、
各種メディアに対するスタンスを語ることに終始していたり、
その他ほとんどは事例やノウハウの紹介で、
「なぜそうするのか?」という疑問に答えてくれるものはほとんどなかったように思う。

(「フェイスブックインパクト」はそこに触れていた部分があったような気がしたのだが、
当時はその重要性も感じなかったため書棚整理の際に棄ててしまった。そして昨日、再購入したorz)

最近参加したad:tech 2012というイベントでFacebookのMark D'Arcyの話を聞いたが、
そのなかにも、Facebookとはどういうものか、というよりも、
「Facebookでは、どう行動できるか」、
「Fecebookでは、どう振る舞うべきか」、
あるいは「Facebookはどういうところを目指しているか
というような話がほとんどだったように思う。
(蛇足だが、"Be authentic"云々の話は"Can be authentic"という風に捉えた方が良いと思う)

彼の話は彼の話で役に立ったが、先の僕の疑問には答えてくれなかったように思う。
(貧弱な僕のヒアリング能力では聞き取れなかっただけかもしれないけれど)

前置きが長くなったが、
現在の私の調査能力では、「Facebookとはどういうところか」という質問に対して、
うまくまとめて答えられてくれているものを見つけられなかったので、
今回、今まで得た断片的な情報から、自分でも改めて整理してみようと思い立った。

FBの4つの特徴
Facebookという場所で人がどう振る舞っているのかを考えるため、
以下の4つがFacebookでの人々の言動を形作る大きな特徴ではないかと考えた。

・すでに人々が自分のグループ内で交流している
・実名で参加している
・色々なものに自分の色をつけて取り込める
・手軽に褒められる


他のメディアに触れてみた後に改めて考えてみると、どれも特徴的なものだと思う。

以下では、他のウェブメディアとの比較を前提に
各特徴からどのようなことが起こるのか考えていきたい。


すでに人々が自分のグループ内で交流している
従来のウェブメディアにアクセスする際は、
コンテンツを求めてそのメディアにアクセスする。

そして、そこにある広告は、
そのメディアもしくはその記事に関連するものが中心になっているのが一目で分かる。

しかし、Facebookの場合は、
コンテンツが主役ではなく、ユーザーというかユーザーの交流が中心であり、
コンテンツはその交流の潤滑油として「ネタ」的に消費される。

まるでそれはカフェテラスでお茶をして話している場のようで、
ネタになりそうなものが参加者の目に留まれば話題に上がり、
もともと集団内で対話がなされている中なので、
話題に上がれば一瞬で集団内をかけ巡ることになる。

そこに押しつけのような広告や宣伝をしても無視をされたり、下手をすると批難されるし、
一目でおもしろいと分かるような話題が常に目の前に供給されている場なので、
おもしろくなければその情報は取り扱うことさえしてくれない。

そこへのアプローチとして、ビジネスの観点からは、
"B to C"から"B into C"へ」と言われたりもするが、
ユーザーにとっても、交流している集団に入っていかなければいけないことを考えると、
誰にとっても同じようなアプローチ姿勢、
あえて言いかえれば"P(ersons) into T(ribes)"とでもいうような姿勢が
求められるような場所だと言えるのではないかと思う。
(英語苦手だからこういう言い回し超不安…)


実名で参加している
これはTwitterとの比較でよく話題にされる点である。

もちろん、それ以前の他ウェブメディアともかなり違う部分だと言えるだろう。
そもそも他のメディアでは個人も、個人のやり取りも可視化されていることさえ珍しい。

この実名で参加しているという特徴によって、
自分の言動が「自分がどう思われるか」ということに繋がってしまうことになる

おもしろいことを言わないとスルーされるTwitterとは
また違った息苦しさを感じさせてしまうようなメディアになっている気がする。

実名で上司や先輩、あるいは取引先と繋がったり、
実名に所属先がひもづけられた状態では、
自分もしくは自分の数段を良く見せようと
「背伸び」したい(しなければいけない)と考させられてしまう("HyperMe"と呼ぶらしい)。

だから質の高いコンテンツの紹介や高尚な考え、活動の紹介が大半を占め、
(普段のオフラインの生活での話題や、メールやツイッターの話題と比べて)
一方で、上品ではないコンテンツの割合が圧倒的に少ないことも実感する。

下品なネタをPostしているひとは、
「元々そういう人だと思われている人」か、
「やんごとなき立場の人」などに限られているのではないだろうか。

実際、
Facebookで広まる話題は、本当に興味があるものとはズレてしまうことが往々にしてある
といったような調査もあるようだ。

そう考えると、「Facebookで話題になっているから、人々が興味がある」と思うのも間違いだし、
「オンライン調査やモバイルでの動向調査などで人々が興味を持っているような情報だから、Facebookでも拡散する」とも言えない。

Facebookで拡がる話題と、人々がアクセスする情報は
必ずしもぴったり一致するとは限らない
ということだ。

つまり変な言い方になるが、
「Facebookで拡がりやすい話題」が、Facebookで拡がっている。


色々なものに自分の色をつけて取り込める
先に述べたとおり、各コンテンツは主役ではなく、
ただのネタとして消費されるし、そうすることができる。

各コンテンツの意図がどんなものかはそれほど重要ではなく
そこにどう自分で意味付けをして、
紹介するか、もしくは紹介できるのか、
ということに焦点が当てられる。

色を付けてしまった後には主役はユーザーになってしまい、
たとえば「いかにアリストテレスがすごいのか」という広まり方をするよりも、
「いかにアリストテレスがすごいと私は考えているのか」という形になって話が広がっていく。

コンテンツの力を借りて、"私が主役"になれるような環境がうまく整備されているため、
誰もが主役になれるような分かりやすく、"素晴らしそうな"コンテンツが好まれてPostされる。

情報の内容が発信元の特徴や歴史等と結びついて無いようなものは(たとえば格言など)、
元情報の発信元がどこの誰であろうと、
あたかも「拡散したユーザーのことば」であるかのように広まっていく


手軽に褒められる
この項目は前の項目にも含まれる部分もあるが、
この事実が参加するモチベーションに強く影響する部分になると思ったため別項目として扱う。

これは手軽に"人を"褒められるという機能的な意味と、
それ故に手軽に"人に"褒められる(であろう)という期待心理的な意味の双方を含んでいる。

人を褒めることはクリックやタップ1つで簡単に行うことができるため、
簡単に「人をよく褒める(素晴らしい)自分」になることもでき
だからこそ「人から手軽に褒めてもらうことができる場所だ」とも期待もしてしまう
ということだ。

また、エッジランクというFacebook特有の評価計算式により
「褒めてもらうほど注目を集める」作りになっているため、
人が手軽に褒めてくれそうな情報を探そうとするし、
そういう情報を紹介するほど目立つ経験ができる。

一方で是非を簡単に判断できないようなわかりにくい情報や複雑な情報は
誰も見てくれないし、もちろん褒めてなどくれないために出回りにくい。

参加者の多くの人がビジネスに触れたことがあるためにビジネスの情報が多くなるし、
また、Web上なので特にWebに関する情報が沢山出回る。

そして、褒めやすいから自分が参加するかどうかは関係なく
素晴らしく見えるから慈善事業の情報などを紹介したくなる。

たとえデマだとしても、分かりやすい素晴らしいものであれば拡散されてしまう。
(ちなみに、リンク先の
「釣りでもいいよ 明日からは気合いれて勉強する気になったよ ありがとう」
という姿勢には僕も賛成)

それが非常におもしろくないという意見もあり、
僕もその意見には賛成だけれども、
一方でたまに良質なコンテンツに出会うこともあるため、
一度そのような形で良い体験をしてしまうと、
頭では分かっていてもなかなかそこから離れることができなくなる。


さて、ここからどうするか
僕の集められた情報と経験から、
Facebookは上記のような場所、
上記のように振る舞いがちな場所なのではないかと考えている。

全体を通して少し皮肉っぽい書き方をしてしまったが、
私も上記のような特徴に巻き込まれてしまっており
そして何よりFacebookを楽しんでいる一人であることもふまえて書いている。

さて、そもそものきっかけとして、
「Facebookにおける施策を考えるため」
「Facebookとはどういう場所か」ということを整理したのだから、
少しは「では、ビジネスをする際にはどう振る舞えばよいのか」ということについても、
上で語ったことを土台にして考えてみたい。

とはいえ、結構長くなった気がするので、続きはまた別の機会に。
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マニュアルを作るということ

マニュアルを作る経験が今の仕事に限らず何度かあり、
マニュアルとは何か、マニュアルを作るとは何か、
ということを考えることが最近多かったので一度考えを整理しようかと思う。


結論から言うと、マニュアルとは
・採用するに足る人に対して
・目的と文脈を示すことで
・組織に仕組みを貯めていく
ための文書なのではないか、と今は考えている。


「自分の仕事を組織に貯めて、誰でもその仕事をできるように」
という組織的な目的のためにマニュアルを作る。

(余談だが、その一方で、個人としては
「自分の飽きたor飽きそうな仕事を次の人にもできるように(仕事orやり方を)再加工する」
という目的でマニュアルを作っていた)


その際に一番困ったのは、
「誰に向かってマニュアルを作るか」
ということだった。

「誰にでもできるように」と言うと簡単に聞こえるが、それが一番難しい。

流石に小学生に教えるには、膨大な説明が必要だし、
日本語読めない人のために、マニュアル作るなんて(時間を考えると)できない。

そこで結構考えたのだが、最終的には
「この仕事をやってほしい人」を想定して作ることにした。

そういう想定をすることで過度に幼稚にならないし、
かといって読み手に親切でないマニュアルを作ることも避けられた。


また、実際に作成するときは
目的と文脈を示すことが大事なのだと気づいた。

マニュアルと聞くと手段のように思えるが、
技術の変化と共に変化するものであれば、
それに応じてマニュアルの内容も可変になるべきである。

であれば、可変にするために、
各項目の目的と、その手段に落ち着いた文脈(理由など)があれば文脈を明示すべきだと思う。

そのためには目次は必須であり、
その手段を選んだ理由があれば盛り込むべきであろう。


そのようなことを考えてマニュアルを作った後、
ふと「マニュアルは採用要件に使えるものでなくてはならないのではないか」
と感じた。

組織では、誰がやってもある程度均一な質の出力を求められるものだが、
一方で、誰をも採用しているわけではない。

採用には選別がなされており、
その選別にマニュアルというのは適していると思うのである。


なぜなら「ある仕事をする際に参考にすればその組織では誰でもできるはず」
という想定でマニュアルは作られているから、
その想定が実現されていると、ある程度立証されたマニュアルを使う場合、
それを読んでできないのであれば、その組織の人間たりえないということである。

採用においていわゆる「多様性」を重視するなどして、
(ここでの「多様性」への是非や厳密な定義はしない)
他の要件を求めるのであれば別であるが、
ある程度同様の仕事をするのであれば、
マニュアルは有効な判別テストになる気がするのである。


そのあたりまで考えた結果(もう手遅れなものももちろんあるがw)、
・採用するに足る人に対して
・目的と文脈を示すことで
・組織に仕組みを貯めいく
ための文書がマニュアルなのではないか、という考えにたどり着いた。


これからもどこかでマニュアル作りを求められることはあるだろうし、
この文書もマニュアル作りのマニュアルとして、
これからマニュアル作りが必要な時に効率化するヒントとしたいと思う。


将来の自分が今の自分を採用してくれるかは怪しい所であるが。
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オーダーメイド?ヒアリング?

顧客接点があり、ある程度オーダーメイドが可能な仕事において、
「聞くこと」に過剰な比重が置かれているような気がする。

だからこそなのか、最近は「発信」について考えることが多い。



もちろん、聞くことは大事ではあるのだけれど、
相手の言うことばかりを聞いていても、それはただの御用聞きである。

おそらく同じオーダーメイドの価値提供であっても、
「コンサルティング営業」にもなりうるし、
「御用聞き」という形にもなりうる。

そこにはどういう違いがあるのだろうか。

私は、それが顧客接点人材と言うよりも、
事業の進め方に違いの要因の多くがあるのではないかと考える。



話す割合と聞く割合は2:8が良いだとか3:7が良いとか言われる。

ここで正確な割合について詰めていく気はないが、
「傾聴」に重点が置かれている(とよく聞く)現在では、
むしろ一定量の発信・伝達は必要ということに注目すべきではないだろうか。


全く相手に適切にインプットをしない状態で、
相手から好ましい情報を得られるとは思えない。

こちら側が何らかのプロフェッショナルという立場(ほとんどがそうだろう)の場合、
こちらの分野の情報を相手に伝えないままでは、相手からは印象論しか出てこない。

教師が、教材も授業も提供しないまま、
生徒に「何か分からないところとか不満はある?」と聞くようなものだ。

おそらくそういう手段では、
ただのわがままや実現可能性を考慮に入れない願望ばかりが出てくることになるだろう。
(それが必要な段階もあるのだろうが)


つまり、顧客から何かを聞くには、
顧客が正常に判断を下せる程度の材料をまず与えないといけない。

それは質問の仕方であったり、営業資料の説明であったり、
様々な形を取ることができる。

そうすることで、
「ブラジル代表は強いんだから一回もボールを取られてはいけない」
のようなとんでもない意見や要望を避けることができる。


ただ、発信を顧客接点人材が担うことは可能ではあるが、
全ての顧客接点人材がそれを実現すると考えるのは、
その人材採用や育成に多大なコストを掛けられる組織以外では現実的ではないだろう。


となると、事業の仕組み自体に発信機能を取り入れないといけない。

特に、情勢がよく変わる分野であれば、定期的に発信をする必要があり、
それを複数の顧客を持つ一人の顧客接点人材が担うのは非常に難しい。

だから、事業の一部として発信機能を取り入れる。

たとえば、
コンサルティング業者でのセミナー、
ウェブマーケティング業者のブログ、
加工食品業界のレシピ公開、
プロスポーツ協会によるレクチャー、
といったものはここでいう発信と言えるのではないだろうか。

それにより、顧客のリテラシーが上がり、
企業の限界のようなものをある程度理解してもらった上で、
建設的な意見を聞くことが可能になる。


また、ある程度強引なやり方ではあるが、
事業の説明ではなくブランドイメージを印象づける、
という方法を取るという形もある。

大企業の信頼という肩書きを使うことで不当な要求を防いだり、
ラグジュアリーブランドなどは機能の説明ではなく、ブランドの表現でもって
付加価値に関する詳細な説明責任を不要な状態にすることもできる。

そのような発信が前提になって好ましい形での傾聴というものが実現される。
発信がない状態で、同様の製品の他社と競争してしまったら
「原価率低すぎ」などという意見はたくさん生まれてしまうだろう。
それは声だが聞くに値しない。


適切な発信機能がうまく取り入れられている事業においては、
いち顧客接点人材からすると「聞くだけでいい」という状態でうまくいくこともあるかもしれない。


事業を作る、つまり顧客に付加価値を提供するにあたって
「聞くこと」は必要ではあるが、
「どのように聞くか」ということを想定し、
「聞くための仕組み」をデザインしなければ、
本当にただの御用聞きになってしまう。


うまく事業がデザインされているのであれば、
顧客接点人材に「聞くことのみ」に重点を置いてもらうようにすればいいが、
自分の事業で本当にそれでいいのか、
それでいいなら他のところでどう発信機能をもたせるのか、
そういうことを考えなければいけないと思う。


自分の製品やサービスの価値について相手に伝わってないまま要望を聞いても、
自分たちが作っている製品やサービスの価値が逓減される。

こちらがプロフェッショナルな価値提供ができるのであれば、
自分の分野に関して、全くの素人に、
その分野のやり方を指導させてもうまくは行かないはずなのだ。

自分の分野に関しては相手に適切に情報を伝え、
そして、相手の分野に合わせた価値が何かを見つける。
そういう形でなければ「オーダーメイド」という形は維持できないのではないか。


確かに、顧客が見え、声を聞くことは、
価値提供や変化をする際の重要なヒントになるだろう。

しかし、こちらが黙っているだけでは、
相手はなにも話したくはないし、何を話せばいいのか分からないものだ。


そんな「傾聴」などだれも幸せにしないのではないだろうか。

自分が自己開示せずに、相手が自己開示なんてしてくれるものか。
リスクを取らずにリスクを取ってなどくれるものか。
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