スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

暇になりたい。

人間関係の射程は広がったかもしれないけど、一つ一つの規模が小さくなった。
身の回りに「集団・社会」が無くなって、一人ひとりの影響力が強くなってきた。
問題が起きた時、10人で協力して対処していたものが4人ぐらいで対処しなくてはいけなくなった。
個々人の事情を勘案することもできず、事件には誰もが足を止めざるを得なくなった。
自分に何かが起きた時には、明らかに誰かに迷惑がかかることが分かる。
タイミングよく率先して対応してくれる人がいることなんてまず無い。倒れてはいけない。

親たちはこれからが見えず寂しくなってきている。自分もこれからが見えず不安になってきている。
常に地盤は沈下し続けているような気がする。
倒れられない。倒れたら、起きた時には足場が既に無くなっている予感がする。

立ち止まると、冷静に考えようとすると、悲観的な材料しか見つからない。
暇から逃げれば、ビジネスというゲームに逃げれば、不安に揺さぶられるようなことはない。

自分のことも、家族のことも、お金のことも、将来のことも気にしなくてもいいのなら、暇になりたい。
でもそんな暇はどこにも見当たらない。
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

自分がもう決まり切ってしまったような気がして。

最近「現状を認識して、今自分が持っているカードでどううまく対処するか」ということに興味があって、ゲーム理論だとか交渉の本だとかをよく読んでいたんだけど、現状をうまく捉えようとすればするほど、自分の環境や能力を固定的に捉えがちになって、面白くないなぁと感じ始めた。現状が悪いわけではないんだけど。

「特に自分の能力を考慮して上手く成果を出す」ということばかりしていると、自分の価値がどんどん固まってしまったような気がして、これからはあまり分析的に物事を、特に自分を、捉えられないように工夫しないといけないなと思っている。

そのためにはきっと、繰り返しの体験や訓練が必要な気がしていて、例えば同じことを何度も体験するとか、同じ訓練を繰り返した先にあるもの、つまり、やる前には想像できないような類の思考や感覚、スキルを身に付ける必要があるのだと思う。

英語の訓練を毎日するだとか、同じ本を繰り返し擦り切れるまで読むだとか、一つのことに関して調べまくるだとか、そういう積み重ねの上に生まれるだろう何かを得たい。生まれないかもしれない可能性も多分にあるけれど。

あとは、メンターを作って、ひたすら従うか。

とにかく、今の自分の延長線上に想像できる世界が、史上最も面白くない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

からっぽな街を歩いて

三宮の街が僕の頭をかき乱した。

自分の部屋に帰ってきてからも
何度も何度も街のことを思い出し、
眠りにつくことができなかった。

神戸には毎週通っているのだけれど、
大学がある六甲より向こうにはほとんど行かない。

何度か誘われて行くこともあったけれど、
何度行っても三宮はどういう街なのかが分からなかった。

だから自分から行こうとすることは無かった。

あの街に行く理由が無い。
ただ、行かない理由も無かった。

昨日も例にもれず、
三宮に行こうという言葉に従って三宮を訪れた。

駅に着き、商店街を歩いた。

いつもの駅前通り、相変わらず何も感じない。

街はまるでいくつかの街を切り貼りしたもののように感じた。
そこで楽しんでいる人たちは皆、どこかで見たことあるように思えた。

ぶらりと街を一通り歩き、
目当ての店でお腹を満たした後、
駅の方に歩いていく。

さっきよりも沢山の人が楽しそうに騒いでいる。

どこかでみたことのある服、
どこかでみたことのある表情、
どこかでみたことのある笑い声。

全てが何かの真似に見える。

三宮という街が分からない。
神戸という街はどういう街なのだろうか。

これで帰ってしまったら
また三宮が残らない気がして、
少し前に人から聞いた喫茶店に入る。

喫茶店は木の薫りが見えるような深い色の木の壁で、
一つとして同じものの無いカップがたくさん並べられ、
それらを包むかのようにレコードからクラシックが流れていた。

「いらっしゃいませ」

女主人らしき人がこちらに向かって声をかける。
マスターらしき男性は黙ったまま手を動かしている。
どこか寂しげで、なぜか機械的な作業に見えた。

「10時半で店を閉めますがいいですか。」

女主人が尋ね、僕達はそれでもいいと答えた。

ブレンドコーヒーを頼むと、
彼は僕達にあったカップを選び、
感情を殺しているかのような優しい手つきで
ただ丁寧にコーヒーを淹れてくれた。

何かの繰り返しのようだった。
繰り返すしかないようだった。

その空間には時間が無かった。
その場所だけが外から隔離されているようだった。
1枚のレコードを何度も裏返して聞いている気分だった。

そこには刺激が無かった。

それ以外に方法が無かった。

僕らしか人間がいないような心地がした。

彼らは無心に同じことを繰り返していた。
恐らく昨日も同じことをしていたのだろう。
そう思わずにいられなかった。

時間が止まった箱の中では、
話は凪のように静かで、
笑いの気配さえしなかった。
それは不快ではなかった。

その箱での最初で最後の驚きは
時間が過ぎていることだった。

彼がクラシックのレコードを整理するのを見ているうちに、
いつの間にか閉店時間になっていた。

やはり彼の手つきは機械のようだった。

外に出た。

外に出た場所が入る前の場所と同じとは思えなかった。
箱の中と空気が変わったことには気付いていたが、
出た時には中と外が同じ街であることにも気付いていた。

街全体が
何かの真似をしていて、
何かを繰り返していて、
何かを探しながらも、
自分を諦めている。

そんな気がした。

異人館、中華街、港町。

考えてみると三宮には根元が無い。

土に根付いた歴史が無い。

三宮らしさは全て外のものなのかもしれない。
それがモザイク状に敷き詰められている。

自分らしさが外にあることに気付いている。
自分を探そうとして、自分以外を繰り返す。

そこに背伸びと寂しさを感じているように思える。

どこか寂しげな面に、それぞれが何かの絵を張り付けている。

外に開いてもいないし、閉じてもいない。
誰が来ても、自分のために繰り返しているだけ。

自分がからっぽだと言うことを分かっていながら繰り返す。

少しずつ風化していくのに気付きながらも、
何かに従い続けていないと街が消えてしまうのだろう。

そう思わずにはいられない。

電車に揺られながらもずっと三宮が頭から離れなかった。

帰った後も、三宮は分からない。

それは今までの分からないとは違って、
分からないという印象を持つようになったということだと思う。

たぶん今日も明日も明後日も、
あの街は同じように回り続けるんだろう。

僕は、街に空があったかどうかも分からなくなるほど、
街の渦に巻き込まれてしまったようだ。

今は違う世界にいる気がして、
いまから本当に朝が来るかどうかさえ覚束ない。

なんだか少し眠くなってきたな。
このエントリーをはてなブックマークに追加

鳥から空を奪い去る鳥籠

鳥籠は「鳥のための籠(かご)」ではない。

鳥から空を飛ぶことを奪い去るから。


鳥が空を飛ぶことを美しいと思うし、
空に鳥がいる事で空に目を向ける事ができる。


普通に人間として生きていたら気づけない景色を見せてくれる。


通学路でも、散歩道でも、
彼らの存在が見えるものを増やしてくれる。


それを見て、それが欲しいと望む人間がいる。


彼らの見せた空が素敵だから近くに置きたいと願う。


鳥が自分には見れない新しい世界を見せてくれたのに、
自分の世界の中に、より小さい籠を作って、彼らをそこに閉じ込める。


空が生きる場所なのに、近くの空を小さく切り取って、
そこに入れて満足するように教え込む。


彼らもそれに慣れる事で小さな世界に慣れてくる。
小さな世界でしか生きられなくなる。


そしていつの間にか拡げてくれた世界は忘れ去られ、
気づけば小さなヒトの、前よりもっと狭い世界に閉じ込められている。


彼らの空が好きだったのに、
いや、彼らの空が好きだったからこそ、
彼らから空を奪う。


そして、人は空を見られなくなる。


でも、人は次の鳥を探せばいい。


籠の鳥にはもう空は見ることはできない。

続きを読む

このエントリーをはてなブックマークに追加

どんどん贅肉を切り離していく。過度の一般化の回避

昨日は責任感を削ぎ落しているというようなことを書いた。

僕は何かに携わる毎に何かを背負ってきた気がする。

特に、背負わなくてもいいものまで
自分で勝手に決め付けて背負ってきたと思う。

その結果、自分の身内だと思っている人まで
自分と同様に扱って傷つけるような言動を行ってきたこともある。

今の自分を見てみると、
当時背負っていたけれど、今は背負う必要の無いものまでも
背負っている気がする。

また、当時の馬鹿な自分が勘違いで背負ったものも
引き続き背中に乗せたままであったりする。
そんなに背負わなくていいのに。
(まぁ、それくらいの気持ちじゃないと
当時の僕にはできなかったのかもしれないけど)

あるグループの長にいた頃の自分と
ある組織の底辺にいた頃の自分が混ざり合っている。

当時できなかったから恥ずかしく思っていたことが
できるようになった現在もなぜか恥ずかしく思えるものがある。

天才だった自分と馬鹿だった自分、
努力家だった自分と怠け者だった自分が共存している。

人生の全てが今に繋がっている、
という考えでは全てを背負わなければならない。

しかし、僕の中には沢山の忘却されたものがあるし、
意識しただけで全く的外れだったものもある。

論理的な思考に従って生きてきたわけではないし、
かっとなったあの時の感情の熱さも既に忘れている。

しかし、それらの残滓は沢山僕の身体に見られるのではないか。

そんな気がしてならない。

僕は(ネット上では)きもとしではある。

でも僕は今会う人たちにとって、
長男でも、
塾の育成担当者でも、
ボウリングの上手い人でも、
アカペラーでも、
オセラーでも、
ジュノンボーイでも、
公務員試験の講師でもない。

多くともそのうちのいくつかでしかない。

しかし、自分は全てを抱え込もうとしてきた気がする。

頑なでいる事は変化をしないことだ。

こうやって僕は少しずつ変化をしなくなっていったのかもしれない。

ここで、緩やかに切り離していく。

僕は
昔、
長男として生きていた。
しかし今はそんな生き方をしていない。

昔、
塾の講師の育成担当だった。
しかし最早生徒に教えられる力もあるかどうか分からない。

昔、
ボウリングはそこそこ引かれるレベルの腕だった。
今やまぁまぁ上手いレベルでしかない。

昔、
アカペラをやっていた。
もう歌う機会なんて全然ない。自分の音は思い出せない。

…などなど。

昔のものはほとんど持ち合わせてないのに、
プライドや責任感だけを背負っていても、
今やそれを使う場面なんてなくて、
他の所に転用してもそれは惨めなだけである。

当時○○ができた → 今だって○○ぐらいできる(ぐらいの人間だ)

そんな一般化が何の意味を持つのか。

僕は昔、いくつかの事をやっていた。
それでいいのだと思う。

ここ1年は過去のことを今に結び付けざるを得ない活動をしていた。

しかしこれからはそんな必要がない。
残滓は積極的に切り離していこうと思う。

幸い、
参照点の無いような
少しの自信と
少しの不安と
少しの考える力と
少しの体力は残っている。

少し。

新しい所に飛び出すのには、
新しい所に飛び出したことのない僕は、
持ち物は少しに留めていた方がいい気がするのだ。

喪失感でさえ積み上げていった
大学生の数年を超えて、
今年は今までに過ごしたことのないような
減らす1年になるような気がする。


どうせなら素敵な少年時代にしたい。
このエントリーをはてなブックマークに追加
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
QRコード
QRコード
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。