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雨やんで傘を閉じるの私から

最近、礼儀について指導をされることがありました。

指導しているときに、
「指導している姿を相手に見られている」という意識はとても大事だと思う。

私は、礼儀を指導するのであれば、
自身が、礼儀正しくないといけないと考える。

また、すこし違う話だけれど、
「おもてなし」というのは3つの原則があるようで、
1.準備を整えて客を待つ(仕度の原則)
2.くつろげる空間を演出する(しつらえの原則)
3.ゲームのルールを共有する(仕掛けの原則)
ということが必要だという。

特に、3においては相手の協力があってはじめて成立する。

礼を全うするには、相手が礼を理解しようという姿勢が必要なのだと思う。

片方の努力だけでは、「礼儀正しい場」というのは成立しない。

ヤンキー相手に、礼儀正しい場を作ろうと思ってもそれはとても無理な話だ。
逆に、典型的なお嬢様相手に、ノリの良いヤンキーの雰囲気を求めるのも、無理な話だ。

礼というのは、双方の努力によって、成否が決定し、
双方の特徴によって、礼の種類が決まるものなのではないだろうか。

そう考えると、「礼儀を教える」ということは、
「自分の作りたい場を教える」ということに陥りがちで、
かならずしも一個人が教える程度の礼儀と言うものは、
「普遍的な礼儀」とは言えないのだと思う。

人間やコミュニティが多様化した分だけ、
礼儀も多様化している気がする。

もし、普遍的な礼儀の種類があるとすれば、
「多様化している礼儀というものを踏まえた上で
数ある礼儀の中から今、適切な礼儀を選ぶこと」
であるのかもしれない。

いずれにせよ、礼儀は一方の努力だけでは成立しえない、
したように見えても、片方からの「礼」の気持ちは存在しえないのではないか
と感じる。
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