スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

知らぬ間に重ね着してた旅の後

今月は色んな所で色んなことをしていたので、
行く先々で自分に「自分のイメージ」が
張り付いてしまっている気がする。

もちろん評価してくれていることは喜ばしいことだけれども、
様々な評価を全て背負い込めるほど僕のキャパは大きくない気がするので、
いつの間にか張り付いていた自分の評価を意図的に剥がしたくなった。

おそらく、社会人になったら他人の評価に従って
自分の行動や仕事が決定されることが多くなるのだろうし、
今は、他人の評価を(できるだけ)排除して、過ごしたい。

評価だけではなく、「言葉の定義」も
色んな人と話していると、彼らの定義に無意識に影響されている。
それも少しリセットしてみたいと思う。

目指すところは思考の肉抜きである。

結構長い文章になるだろう。


再考したい、自分にとって大事な言葉は
・賢い
・イケメン
・恋愛
・行動力
・「好き」
・適当
・優秀
・個性的
・自信
あたりだろうか。

この辺が少しばかり人の言葉に左右されつつある気がしている。


・賢い
これは最近よく言われた気がする。

理由は
「実際に頭がキレると思われているから」
「余裕があるからそう見えるから」
「学歴・年齢・役職等によるバイアスがかかっているから」
「僕が知ってることしか喋らないため」
などに分けられると思う。

因数分解して少し冷静になる。
実際に賢いから賢いと言われるわけではない。

また、本を読めば読むほど、著者はもっと賢いということが分かる。
もし、「自分が賢い」と思ってしまうなら、それは学ばなくなったからだ、
ということだと反射的に気づけるようになっておきたい。

ただ、このトピックに関しては、
「自分は馬鹿」だと常に言い続けているので、
それほど暴走してしまう心配していないのだけれど。



・イケメン
これもたまに言われる。
過去の経歴の影響もあるのだろうと思う。

これは鏡を見て、テレビを見れば違うことに気づける。

そもそも、最近は「イケメン」の敷居はとても低くなっている。
女子が発する「かわいい」に匹敵するぐらい手軽な褒め言葉である。

こんな言葉を真に受けていてはあっと言う間に凋落する気がする。

でも、言ってくれた優しい皆には感謝している。とても光栄なことだ。



・恋愛
肌寒くなってくると、人肌が恋しくなる。
僕は欲望に忠実で、この思いは間違っているとは思わない。

でも、それを「恋愛をしたい」という想いと混同したくはない。
「恋愛がしたいから」「あの人を愛しているかも」という順序はおかしい。
そうならないようにしたい。

最近、時期のせいもあるのか、
割と恋愛についての話を聞くことが多かった。
基本的に、他の人と僕の恋愛観は違うようである。
しかし、たくさん同じような話を聞いていると、
いつの間にか少しずつ影響されてしまうことも多い。

「彼女が欲しい」という言葉をよく聞く。
僕は特定の人を想定しないで「彼女」が欲しいとは思わない。
「彼女が欲しい」と思った上で人と接すると、
「彼女にしたいかどうか」という考え方から入ってしまいそうで嫌だ。

あくまで僕は、大好きな人を大好きになりたい。

できれば、「彼女」や「恋愛」という言葉も使いたくないぐらいである。

「好き」で始まり、「大好き」を経験し、「より好き」になっていきたい。



・行動力
「行動力がある」ということを言われることがある。
ただ、自分にとっては「行動力がある」という表現はムズムズする。

僕は、いつでも誰もが何かしら行動をしているはずだ、と考えているからだ。

「行動力がある」と言われたときは、
「自分は発言者の周りの人とは違う行動をしているのだな」と理解する。

つまり、自分は「特殊な行動をしている」だけだ。
それは同時に「皆のする行動ができていない」ことを意味する。

あえて人と同じ行動をする必要はないが、
僕は「他の人が学ぶべきことを学べていない」という自覚だけはしておきたい。



・「好き」
「好き」という言葉は日常で最頻出の単語の一つであろう。
ある言葉が頻出であればある程、そこには元来の意味とは違う意味が付与されていく。

「好き」という言葉も、例にもれず、多くの意味が追加されているように思う。

特に、対象が人であれば、利己的な意味(or想い)が付与されるように思う。
「対象を自分のものにしたい」という意味、
「相手にも好きになってほしい」という意味、
「『恋愛』に発展させたい」という意味、など。

しかし、今、僕は自分が使う限りにおいては、
純粋に「好き」という言葉を「好き」という意味で使いたい。

それは、僕が「好き」という単語の響きやリズムが好きだからだと思う。
大事な言葉だからか、「好き」という言葉を使うときだけは
嘘をつかないようにしている。

いつの日か、僕の使う「好き」という単語が、
元来の「好き」という言葉の意味よりも
自分が好きだと思える「好き」という意味に
いつか昇華されていけばいいな、とは思う。

あと、「好き」という想いに関してだけは、
人の意見を聞いて決断したくない。
悩んででも、何度自分にだまされても、自分自身を信じたいトピックである。



・適当
「適当」という言葉を魅力的に感じる。

適当というバランスは非常に微妙なものだと思っていて、
自分のことを「適当」だと言うのも、言われるのもなぜか結構嬉しい。

僕のイメージでは「普通」→「適当」→「いい加減」という感じで捉えている。
ここを突き続けるのが適度に好きな感じで頭を使うし、面白い。

「シュール」というのも同じ感じ。

「適当」に「シュール」に生き続けることが素敵だと思う。



・優秀
学生団体の活動をしてから
「優秀な学生」という単語を聞く機会がとても多くなったような気がする。

そして、多くの〈優秀な学生〉に会ってきた。

そういった世界での「優秀な学生」という人物像はなんとなく分かってきた気がする。
それは学問・研究の世界での「優秀」とは
意味も程度も全く違ったものであるのだろうと捉えるようになった。
(どっちが良いとかいうものではない)

そういえば、「優秀な学生」という表現に違和感を持ってからは、
その表現をめっきり使わなくなったことは確かだと思う。



・個性的
僕は個性的だと言われることがある。
しかし、僕は「個性的」に生きたい訳ではない。
自分に正直に生きていたい。

「個性」を目指すことで「自分」を捨てたくはない。
僕の中にある要素のほとんどは他の人と共通することである。
その中でわずかな部分だけ、「人とは違うと思われやすい部分」があるのだろう。

いたずらに「個性的」を求めて、無理に「特別っぽいこと」を目指したくない。

本題から逸れるが「個性的になるにはどうすればいいんですか?」
という質問を聞いてびっくりしたことがあるのを思い出した。



・自信
僕は基本的に自分に自信がない。
本当に自信がない、というのと、
自信を持ちたくない、という2つの理由がある。

自分を下らないとみなすことで、
自分にとっての「素敵なこと」の方向が分かりやすくなる。

また、自分にとって対象を「観察すること」は大事なことであり、
過信によって観察の精度や機会を見失ってしまいそうで怖いのである。

他にも、ここで言っては意味がなくなる理由もある。



・再考をしてみて
思いつくままに、矛盾も許して、
長く(≠深く)考え直してみて、
自分の思考がスリムになった気がする。

就職活動でするような就職活動orビジネスの為の
自己分析とは違った方法で自分について考えてみたかった。

何かが大きく変わったわけではない。
どちらかというと調整しただけである。

好きなものが好きでは無くなったのではない。
ただ、好意の肥大化は防げたようには思う。
好きであることは変わらない。

いつの間にか膨れた僕が痩せこけてしまったように思えるかも知れない。
でも、一生やせ型の僕にはそれぐらいがいいのだと思う。
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

非公開コメント

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
QRコード
QRコード
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。