スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

雨降りて重い上着を脱ぎ去りぬ

昨日は雨が降ってきたのでぴろのり宅に泊まりました。

今週はTOEIC対策セミナーを京大で受けているので、
毎日18:00-20:00に京大にいます。

ただ、交通費がバカにならないし、
今週は誰かの家に泊まらせてもらおう
orオールで遊ぼうとたくらんでるので、
お優しい人はこんなくだらない人間ですが、
一緒に夜を過ごさせてくださいな。

京都にいれば、基本的にメディセンで作業ができるし、
土地勘があるし、銭湯もあるので、
普段、歯ブラシを持っている僕には不自由なことがありません。

最悪、カラオケとかマン喫で泊まれるし。



さて、最近は色んな人の色んな話を聞くことがあり、
その経験からなんとなく気がついたことがある。

それはメッセージを人に伝えるときには、
「何をしている人が言うかが重要」ということ。

よく
「誰が言うかが大事だ」とか
「何を言うかが大事だ」とか
そういう議論を聞くことがあるのだけれども、
僕にとっては、どちらも正解だとは思えない。


僕は上述の通り、「何をしている人が言うか」が大事だと思うのだ。
(もちろん、内容が最重要視されることになっている舞台もあるが、
多くの場合はそこでもこの要素に大きく影響されていると思う。)

人にメッセージを伝えるときには、
人の行動にフォーカスするべき。


例え社長であっても、毎日ぐうたらしているだけの人の言葉には
強制力はあるかもしれないけれど、説得力はない。
ただ、彼/彼女が一生懸命働いていた頃の教訓を
具体的に教えるのであれば多少は効果はあるかもしれない。

例え、すごくきれいな言葉を言ったとしても、
それが何も自分で業績を上げていなかったり、
何も行動していないような人の言葉であれば人には響かない。
(…あぁ、自分に刺さるなぁ)


名前も顔も知らない、上品な振る舞いの人が
「生きることは歩くことである」とか適当なことを言えば、
なんだか深さを感じてしまう。

同じことに何年も取り組んでいる人が
「分かることなんて何もない」といえばなぜか信憑性が生まれる。

例えば、
デカルトだって、あれだけの活躍、思考を繰り返していたからこそ、
「我思う、故に我あり」という論理的に脆弱な言葉に
偉大な意味を込めることができたのではないだろうか。



「何をしている人が言うか」が大事であるということを
肯定するのは辛いことかもしれない。

なぜなら、言葉に説得力を持たせるには、
何か行動していないといけないからだ。

行動をやめれば人を説得することはできない。
言葉はあくまで最後のステップでしかなく、
そこまでのステップはその他の行動によって形作られる。


もっと正確に言えば、
「相手に自分の行動がどう見えているか」が大事なのだろうと思う。



僕は今まで人に教える機会が多かったし、
それを大事にしてきた。そしてこれからも大事にしていくだろう。

僕は人に何か教えるとき、
相手から自分の行動がどう見えているか、
相手からの印象に見合うメッセージを伝えられるか、
を意識していきたいと思うのだ。




こんなこと言っておきながら、
自分は人の話を聞くときには
「話の内容」を最重要視しているきらいがあるのだけれども。



スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

非公開コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
QRコード
QRコード
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。