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ポチもクロもタローもハナコも全部犬

僕には親友と言える人がいません。

そればかりか、僕には友達と言える人もいません。


いつも、誰かに人を紹介するときは
「僕の後輩/同期/先輩/先生の○○さんです」
「僕が~の時にお世話になった△△さんです」
みたいな紹介の仕方をします。

できるだけ事実を伝えようとします。


本題に戻ろう。


僕は人を「友達」という感じに一括りにできないのです。

一緒にいて楽しく感じる人、よく遊ぶ(遊んでくれる)人、
僕の前で笑顔を見せてくれる人、何かあれば相談してくれる人、
など、素敵な人達が自分の周りにいる。

それぞれが僕にとっては個性的な人達で、
彼らを例えば、「友達」「親友」「恋人」などとラベル付けができない。
「~してくれた人」、「知っている人」、「妻」など、
動詞や事実で表現するのであれば可能なのだけれど。

「友達」「親友」「恋人」などは言葉の意味の中に、
行為の種類や程度が含まれている。
つまり、自然に対象の人たちを比較していることになる。
そして、どこか優劣のニュアンスも感じる。
だからあまり好きではない。

また、「友達」「親友」「恋人」というのは「関係」を作り出す。
僕は上記の各単語の意味を肌で理解できていないので、
例えば
「友達とはどう接するべき」で
「親友とはどう接するべき」で
「恋人とはどう接するべき」といった感覚が全く分からないのだ。

全く分からないから、「分からないプレッシャー」を感じたりもする。

さみしがり屋の僕は、「関係性の存在」ではさみしさを拭うことができない。
その人の存在が、その人との交流が、
その人の笑顔がさみしさを吹き飛ばしてくれるのだ。

僕は仲良い人たちにラベルをつけない。
それぞれの人と接したい方法で接する。
例え容量が大きくなっても、
個々人をそれぞれフォルダ分けして印象を記憶する。



こんなことを考えていると、
僕と、ラベルの付いた関係を大事にする人たちの間に大きなギャップを感じた。

もしかして僕は「友達であること」「親友でいること」「恋人というもの」
の素晴らしさを理解しないで生きてきたのかもしれない。

もしかしたら、関係性で人を捉える事は、
ものすごく幸せなことなのかもしれない。


ただ、僕には実感がないのである。



きっと今から恋人ができたとしても、
僕はその人を「恋人」とは捉えない気がする。

その人自身を見ることしかできなくなってしまったのだと思う。


自分は心が不器用なのだろうか。
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