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整えた花を奪って得意顔

得る知識の種類には、賢いと思われ易いものがある。

例えば哲学。
この知識を知っているだけで少し賢そうに感じる。

確かに、他の知識と比べたら、理解するのに苦労をする必要がある気がする。

しかし、理解した後に思考停止に最も陥り易いものの一つも哲学だと僕は思う。

多くの哲学は身の回りの現象や、人間の感性や心理の問題から生まれていて、
少し哲学の考え方を口にしただけで、人には説得力を与えやすいし、なんだか賢く見える。

ただ、それは過去の人物が苦労して積み上げた台に飛び乗っただけで、
自分で考えているわけではないし、賢い訳ではない。

ただ、本人も含めて自分が賢いと錯覚しやすいのだと思う。

哲学に関しては「○○主義」などという考え方がいくつかある。
こういうものを調べて読んでみると、多少の穴があることも分かるが、
基本的には首尾一貫しているものが多い。

だから、これを口にするとなんだか正しいことを言っているかのように思う。
そして、自分もその考え方に従って生きているかのように思う。

しかし、人間ってそんなに一貫しているものだろうか。
むしろ、矛盾を孕んでいることが自然ではないだろうか。

特に、過去の「完璧な論理」を求めていた頃の思想家などの考えを
自分の考え方かのように得意げに口にしている人をみると、
ホントかな?って思う。

君が取り入れているのは「知の巨人」だぞ。と言いたくなる。
凡人の身体にラオウの魂を入れようとしているのと同じではないか。
時代も環境もスペックも違うのに、適合しないと思うんだけどな。

僕は哲学(の入門)書を読むのは好きだけど、
それを題材にして自分の考えを補強・改訂していこうとしていく。

あくまでベースは自分、あるいはその環境。

そうでなければ大きな破たんが待っている気がするんだ。

哲学を学ぶときは、本当に賢くなった気がする。
そして、少し自分が偉くなった気さえするのだ。

これは間違いだと思う。

僕がそれだけ1冊の本だけで学べたということは、
僕はそれだけ知らなかったのだ。
反論をできるだけの賢さを持っていなかったのだ。

つまり、バカだったのだ。

哲学だけでなく、偉大な人の本を読む時には、
自分の精神、状態、能力にしっかり注意を払いたいものだ。


なんか、最近、途中で訳わかんなくなって、
自分への戒めで終わる気がするな…
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