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景色の一箇所から見上げてみた。

さっき、神戸の高速道路を通行しながら、
過去の体験を思い返して考えてみた。

昨年末に、六甲山から夜景を観たのですが、
今、その時見た夜景の中にいる、ということに気付いた。

あの時、僕は遠くに見える道路の上に、
黄色い光が動いていくのを「キレイな物」だと思いながら眺めていた。

いや、正確に言うと、「黄色い光たちの動き」がキレイだ、と思っていた。

つまり、各、黄色い点を見ていたわけではない。
「あの車は特にキレイだ」という風に思ったわけではない。

一つ一つを認識できないけれど、
多数の点が犇(ひしめ)いていたり、動いていたりするのがキレイだと感じた。

ただし、展望台の近くのいくつかの高い建物は認識でき、
それらだけは何か特別なものだと感じることができた。

それらはただ近くにあるだけなのに。



今日、その夜景の一部になった。

夜景側から見れば点に見えていた部分でも、
実はあの時近くにあったた建物よりも立派だったり、オシャレだったりする。
すごく心をいやしてくれるものもある。
親切な運転で心が洗われるような思いをさせてくれた車もある。


高い展望台から夜景を広く見下ろしていた時とは全く違う風景が見えた。


展望台にいた時は、自分が多くを見ることができていると勘違いしていたかもしれない。

確かに、たくさんの点は観ることができたかもしれないけれど、
各点に対してほとんど何も分かっていなかった。

思い返してみると、その時、自分の近くにはほとんど建物は無かった。



下にいると、自分の周りのどの方向にもの建物や車、人が見える。

遠くを見ることができないけれど、
近くの一つ一つに対して嫌になるほど沢山の物事が分かる。

そして、あの時立っていた場所は、下から見ればただの点でしかなかった。



多数を見ているからといって、理解できているとは言えない。
同じように、近くのことが良く見えるからといって、理解できているとは言えない。


多くが見えている時は、詳細が見えていない。
詳細にのめり込んでいる時は、広く見れていない。


展望台側にいれば展望台が優れているように思える。
高速道路にいれば身近なものの素朴さが尊く思える。


どちらも正しい。だからこそ片方に偏らないようにしたい。
繋がっていて、見え方が違うだけであることを忘れないでいたい。


今回、自分が「意図せず」両方を経験できたから気付けた。
「たまたま」気付くことができた。

せっかく気付けたのだから、この気付きはこれから活かしたい。

何をするにしても、自分の立っている所、
そして相手の立っている所をしっかり意識しよう。
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