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複数の責任の所在を奪い合う関係でいたい

何事にもいざという時に責任の所在について議論されることがある。

大学の業務の中には責任の所在が無いものもある。
(例えばビラの掲示などはたらい回しにされて結局なかったりするらしい)

ビジネスでの上司・部下関係、親会社・子会社などの話で
責任の所在が原因で問題が起こる、といったことが
ニュースやドラマでたまに見られるように思う。

僕は、ここではあまり詳しくは述べないけれども、
「リーダーになんでも原因を押しつけるのはよくないじゃん」
という視点に立ったリーダーシップ研究をするつもりである。

ただし、決して「リーダーに責任がない」と言っているわけではない。

むしろ、リーダーは責任を感じて当たり前だと思っている。
自分がリーダーの時もそうだし。

しかし、僕は「フォロワーも責任を感じるべきだ」というところに
僕の研究動機はあるのだと思う。

ましてや、「フォロワーがリーダーに責任がある、と言うなんてもってのほかだ」
というのが僕の考え。


こういう視点に立った時、疑問が2つ出てくるかもしれない。

1つ目は「じゃあどっちに責任があるの?」
2つ目は「うまく配分すればいいの?」

という2つだ。

僕はどちらでもない方法があると思う。


つまり、どっちもが「自分に100%責任がある」と思えばいいと思うのだ。

もし、それで失敗が起こったりして両者がぶつかったとしたら、
責任の所在を奪い合えばいい。

「俺の責任だ!」と。

権力を使ってでも責任の所在を奪ってしまえばいい。
僕はそういう関係が美しいと思う。
(成功の場合は奪い合うのは醜いと思うけど)

つまり、一時的に責任の量が200%になってしまうのだけれども、
(物事の決定権さえ事前に設定しておけば)
それほど大変な事態にはならないのではないかと思う。


ただ、注意しておきたいのは、
責任を持つ、という決定を両者がしておくこと。
(問題が起きそうなら決定を確認しておけばいいし、
別に両者がそういう人間であれば確認しなくてもいいとも思うのだが)


自分で決定していないのに、
自分に責任を押し付けられるほど理不尽に思うことは無い。


そうならないために、口に出そうが出すまいが、
自分で意思決定をする機会を設ける必要があると思う。
(口に出しても心で決定していなければ意味が無い。
つまり、言わせるだけではいけない、というのも忘れては駄目。
ここの判断がとても難しいのだけれど)

そうする限りにおいて、
一つの物事に対して責任の所在が2つあってもいいと思う。

もし最後に何かあれば、その時に奪い合えば良いのではないだろうか。


もちろん、「これは僕はできない」などということがあれば、
それを事前に言っておくことも大事な決定だと思う。


その上で、お互いが自己決定すれば、
責任を取り合う関係というのは成立すると思うし、
自分がどっちの立場であってもそういう人間でありたいと思うのです。
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