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テストで余計な自信が無くならない為に

今日は夕方から遊ぶので、早めにささっと書いてしまう。


テストの話。

学校ではテストがある。

僕は昔、テストが得意だったように思う。

事実として小学校はほぼ満点だったし、
中高では定期テストは勉強せずともだいたいトップ10範囲内、
模擬テストでは校内でほぼ1位を取っていた。
大学でも苦手な専門の理系科目でさえ、
ほとんどが一夜漬けで何とかなった気がする。

きっとテストが得意だった。

短い半生を振り返ると、得意教科は無かった気がする。
でも、テストでは(当時いた環境の中では)うまくやっていた。


しかし、一方でテストで悩みを抱える人がいる。
「テストで点が取れない」と。
もし点数を取れていないなら、それは事実である。

しかし、ここからよくある間違いが起こる。
それは「だからこの科目は苦手だ」と考えること。

テストは学力を測れるものではない。
テストは「学力の一部」を測れるものだと思う。
もっというと、僕は「学力の一部×テストのうまさ」を測るものだと思っている。

しかし、テストの点が悪い=学力が低い、と安易に考えてしまう人が多いのではないか。

もちろん、その可能性が無い訳ではないが、
例えば、会話や作文において論理的思考を発揮している人や、
問題演習をしている時に苦労してでも難問を解いてしまう人が
テストの点が取れないからといって「学力が低い」とみなすのはどうかと思う。


僕はテストはゲームだと思う。

当時はそんな風に言語化していた訳ではなかったけれど、
「点取りゲーム」と同じような感覚でずっとテストに望んでいた気がする。

「どういうところで点を取ろうか」
「この証明ではどう部分点を狙うか」
「この問題はちょっとふざけてかいてみるか」
とかそんなことを考えていたように思う。

もちろん、目的は点を取る事だった。

そこで
「自分の数学の力を確かめよう」
とか、
「自分の学力が分かる」だなんてほとんど思わなかった。


おそらく、始めから点が取れていた人は、
僕みたいにテストをゲームのように捉えていた人もいるのではないだろうか。


一方、点が取れない人は、テストの点数=科目の理解度
ひどい時には、テストの点数=科目に対する自分の才能
と認識してしまう。

でも、それは違うと思う。


テストはテストなのだ。

制限時間が決められ、全員で一斉に実施し、
話すこともできないし、学校の机に皆が座った状態で受験する。

これは極めて特殊な条件での検査だ。


点が悪かったとしても、それが歴史の才能の有無と強く関係しているとは限らない。

しかし、多くの人がそう感じてしまう。

ましてや、ほとんどの学校が減点法のテストを採用している。
それでは「才能」という「長所」は見ることが難しい。

最も目立って見えるのは間違い、つまり「短所」である。
だからこそ自分の否定に繋がるのだろう。


しかも、出題形式は出題者の性格や特徴によって違いがある。
それが学問の権威ならまだしも、そうでないなら「学問の才能」なぞ分かる訳が無い。


日本のテストは学力や才能が測られると思って挑むとリスクが高いものだと思う。
しかし、テストの形式や採点方式などを変えろというのは無理がある。

だから「テストは点取りゲームだ」というぐらいで
挑むのが精神的に健全じゃないだろうか。

点を取れば喜べばいいし、点を取れなければ悔しがればいい。

でも、一時の、限られた分野に対する偏った測定でしかないのに、
才能の芽を摘むことになってしまうのは勿体なさ過ぎると僕は思うのです。

しかし一方で、考えようによっては、
もし、僕が全てのテストに命をかける意気込みで成功を積み重ねていたとしたら、
それは大きな自信や力になったのかも、とも思ったりもします。
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