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どんどん贅肉を切り離していく。過度の一般化の回避

昨日は責任感を削ぎ落しているというようなことを書いた。

僕は何かに携わる毎に何かを背負ってきた気がする。

特に、背負わなくてもいいものまで
自分で勝手に決め付けて背負ってきたと思う。

その結果、自分の身内だと思っている人まで
自分と同様に扱って傷つけるような言動を行ってきたこともある。

今の自分を見てみると、
当時背負っていたけれど、今は背負う必要の無いものまでも
背負っている気がする。

また、当時の馬鹿な自分が勘違いで背負ったものも
引き続き背中に乗せたままであったりする。
そんなに背負わなくていいのに。
(まぁ、それくらいの気持ちじゃないと
当時の僕にはできなかったのかもしれないけど)

あるグループの長にいた頃の自分と
ある組織の底辺にいた頃の自分が混ざり合っている。

当時できなかったから恥ずかしく思っていたことが
できるようになった現在もなぜか恥ずかしく思えるものがある。

天才だった自分と馬鹿だった自分、
努力家だった自分と怠け者だった自分が共存している。

人生の全てが今に繋がっている、
という考えでは全てを背負わなければならない。

しかし、僕の中には沢山の忘却されたものがあるし、
意識しただけで全く的外れだったものもある。

論理的な思考に従って生きてきたわけではないし、
かっとなったあの時の感情の熱さも既に忘れている。

しかし、それらの残滓は沢山僕の身体に見られるのではないか。

そんな気がしてならない。

僕は(ネット上では)きもとしではある。

でも僕は今会う人たちにとって、
長男でも、
塾の育成担当者でも、
ボウリングの上手い人でも、
アカペラーでも、
オセラーでも、
ジュノンボーイでも、
公務員試験の講師でもない。

多くともそのうちのいくつかでしかない。

しかし、自分は全てを抱え込もうとしてきた気がする。

頑なでいる事は変化をしないことだ。

こうやって僕は少しずつ変化をしなくなっていったのかもしれない。

ここで、緩やかに切り離していく。

僕は
昔、
長男として生きていた。
しかし今はそんな生き方をしていない。

昔、
塾の講師の育成担当だった。
しかし最早生徒に教えられる力もあるかどうか分からない。

昔、
ボウリングはそこそこ引かれるレベルの腕だった。
今やまぁまぁ上手いレベルでしかない。

昔、
アカペラをやっていた。
もう歌う機会なんて全然ない。自分の音は思い出せない。

…などなど。

昔のものはほとんど持ち合わせてないのに、
プライドや責任感だけを背負っていても、
今やそれを使う場面なんてなくて、
他の所に転用してもそれは惨めなだけである。

当時○○ができた → 今だって○○ぐらいできる(ぐらいの人間だ)

そんな一般化が何の意味を持つのか。

僕は昔、いくつかの事をやっていた。
それでいいのだと思う。

ここ1年は過去のことを今に結び付けざるを得ない活動をしていた。

しかしこれからはそんな必要がない。
残滓は積極的に切り離していこうと思う。

幸い、
参照点の無いような
少しの自信と
少しの不安と
少しの考える力と
少しの体力は残っている。

少し。

新しい所に飛び出すのには、
新しい所に飛び出したことのない僕は、
持ち物は少しに留めていた方がいい気がするのだ。

喪失感でさえ積み上げていった
大学生の数年を超えて、
今年は今までに過ごしたことのないような
減らす1年になるような気がする。


どうせなら素敵な少年時代にしたい。
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