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「それはそれ」は自分を甘えさせる

最近は「例外」というものが必要以上に適用されている気がする。

それに伴い、「原則」という言葉の力がどんどん弱くなっている気がする。


例外というものは一度適用され、存在してしまうと、
他の例外も適用される可能性を感じさせてしまう。

例え、始めの例外を適用した人間がそれ以外の例外を認めるつもりはなくても
例外が存在することを知った人は「例外が認められるのだ」という考えを持つ。

だからといって、いったん認めた例外をやっぱり認めない、
とするのには異常な反発がある。説得するのに尋常ではない時間と労力もかかる。


だから、例外を適用する側はそれなりの覚悟が必要となる。
僕は生徒を指導しているときに、革新的な試みはそれほどしていないが、
その代わり、例外は出来るだけ持たないようにしていた。

見逃さないわけではないが、見つけたら決して認めない。
相手の偏差値が学年トップであろうが、ダメなものはダメ。
(もちろん、人に応じた接し方は意識した上で)

その方がこちら側も判断もしやすい。

いったん例外を認めると、それからは「これは認めるべきか」といった思考が必要になる。

そんな高度な思考は疲れるし、繰り返し行うと指導の一貫性を保つのは困難だ。

例外を認めた後の労力を考えて、例外を認めないといけない。



同じように、自分に対しても例外の余地の無い判断方法を取り入れるほうが楽。
簡単なのは「Yes/No」だけで判断する項目を増やす。

達成すればYes。できなければNo。グレーゾーンは設けない。
目標に1ページでも、1文字でも、1回でも、1秒でも足りなければNo。

そうしないと後がしんどい。



「天才」の存在もそう。
一人、天才だと認めてしまえば、天才は溢れるほど認めることになってしまう。

イチローが天才だとすれば、
王は?長島は?松坂は?岩隈は?ビッシュは?

天才だとしたら、自分は辿り着けないの?
あの努力家の野球少年は辿り着けないの?

天才を認めてしまえば、天才でないとされた人の将来はかなり狭くなる。
「やっても無駄」という思考が日常に一気に拡がる。

だから僕は天才という例外を認めない。



天才と言う垣根を取り除けば、自分でも天才と言われる人間の真似ができる。
優れた業績を残している人間のアイデアを使える。彼らに近づくことができる。

彼らに近づけるということは僕は到達できるのとほぼ同義と考える。
そうじゃないとやりがいがないじゃないか。



効率が良くて、さくさく仕事を進める人は頭の回転が速いのかもしれない。
でも、そんなの測れないし、分からないじゃないか。

きっと、彼らが「凄く考えられる人間」なんかじゃなくて、
実は、その他の人が「多くのことを考えている」から速度の差があるんじゃないのか。



例外は手軽だけど、怖いものです。
例外は現在の自分を助け、将来の自分に牙を剥きます。


さて、新入生ガイダンスに行こう。
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