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自分の過去の強化ではなく、否定をしたい。

僕は言っていることはよく変わる。
(ってか自分の言ったことを覚えてない)

日記に一生懸命書いた記事でも、
考えが変わればためらいもなく否定する。

昔書いたことは正しいとは限らない。
(当然、後に書いたことが正しいとも限らない)

だから、自分が昔言ったからって、そのことにこだわらないし、
むしろ考えの変化があって喜ばしいことだと思う。

もちろん、正しいかどうかが判定できないこともあるんだけど。


僕みたいな未熟者が、
自分の言うことを正しいと思うなんて噴飯ものだと思う。


日記の文章に関しても、形としては毎回完結しているので、
一つ一つの記事が「完成品」とも言えるけれど、
それは決して「これから守らないといけないこと」ではない。

むしろ、「否定すべき材料である」と言った方がしっくりくる。

過去の自分の考えを否定出来たり、否定してもらえることは、
そこに発展の可能性があるということだと思う。

思考不足で安易に過去の考えを捨て去ってしまうこともあるかもしれないけど。


恐らく、自分の過去を正当化し続けることを退屈だと思ってしまうのだろう。


僕は、セミナーなんかに行くとよく言われる
「正しい選択を行うのではなく、自分の選択を正しくするのだ」
という言葉はあまり好きではない。

正しくない選択をしたと思うなら、自分の案であろうと却下したいと思う。

ただ、正しいかどうかを判定できるぐらいは
自分の意見を推敲しないといけないとは思うけれど。


例えば、過去の自分が体罰をやっていたからって、
自分が他の人に対して体罰をすることを正当化してはいけない。

その時の仲間や同世代の人間の証言を集めて、
自分の意見を強化していくのに何の意味があるのだろうか。

そんな自分を正しくする行為ははたして正しいのだろうか。
僕には分からないが、正しくない臭いがする。


他にも、挫折の経験などは人の転機になることは多いらしいけれども、
それも「自分の過去の強化」に繋がらないだろうか。

どうにもならない経験に影響を受けて、
学ぶことが本当に正しいのだろうか。

その挫折は自分にはどうしようもないことだったかもしれないし、
人の悪意による結果かもしれない。

そこから無理に原因を自分に落とし込んだりすると、
原因推定の能力を落としたり、
ストレスを感じやすくなるといった結果になるかもしれないし、
人の悪意に敏感になって人を信用しないことを学ぶかもしれない。

かならずしもその挫折の経験を強化することが正しいとは限らない。

学ぶことを拒否することも有用であることもあるのではないか。

「この経験・言説からは学ぶべきではない」と気付くのもいいのではないか。
(ある意味これも「学び」と言ってしまえばそれでお終いかもしれないけれど)


自分の受けた過去の衝撃を元に、そのとき辛かったといっても、
それを正当化し続けて生きる事はあまり良いことだとは思えない。

そうやって出来る自作の壁は、
以降の学びを妨害することが多い気がする。


自分のしてしまった大きな失敗があったとしても、
「あの時は馬鹿だったなぁ、無駄だったなぁ」
と過去の自分を軽く笑い飛ばしながら、
「まぁ、今の自分も馬鹿だけどね」と言って楽しく自分をいじっていたい。
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