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内省して意味を見出すか、まぁいいやと思うか

過去の経験や状況を思い出し、
内省することで自分の行動に多くの意義を含ませることができる。

そこに自分なりの意味づけを行うことができるし、
全てが何かの原因を持つと考える事も出来る。

ただし、一旦自分の行動を意味づけしたり、
そこから自分の特徴を決めつけると、
それ以降の言動を解釈するときに、
その意味に囚われてしまうこともある。

無意識のうちに新しい行動指針ができていたとしても、
今まで知っている自分のイメージに沿って解釈するようになる。

そのイメージを強化し続けると
自分とはどういう人か、というのが明確になってくる。
自分に一貫性を持たせることができる。

それが内省の効果だと思う。


一方で、過去を気にしない事で経験を無かったことにできる。

あれはたまたまだ、自分のコントロールできることではない、
と感じる事ができれば、過去の経験も挫折でさえも捨てられる。

しかし、無意識に残っていれば身体が覚えてしまっていることもあるし、
なによりも「忘れよう」と思って簡単に忘れる事はできない。

しかし、僕は忘れることは大事だと思う。

最近は本当に「過去の自分に縛られて生きてもしゃーない」
と思うようになったから、興味無いことは簡単に忘れられるし、
色んなものを思いつきで躊躇いなく捨てられるようにもなった。



最近は、自己啓発、自分探し、自己分析などが流行っているし、
就職活動の際に自己分析をして自分の過去に意味付けをすることが、
大学生の通過儀礼のようになってきつつあるように思う。

そこで自分の特徴を決めつけて、
「自分とはこういう人間だ」と決定し、
それを語り、評価されることでそのイメージを強化していく。

就職活動直前の短い期間に、
自分の将来の道を決めると同時に、
自分とはどういう人間か、というアイデンティティも確立していく。


アイデンティティの確立は自尊心を養うことに繋がるし、
必ずしも悪いことではない。

しかし、自分らしさを追求し過ぎじゃないかとも思う。


もちろん、自己分析は必要に迫られてやっていることなんだから
やらないと仕方ないんだけれども、それが終わった後も、
便宜的に決め付けた「自分」にいつまでも固執する必要はないと思う。


人生の始めの20年だけで、というか直近の半年考えただけなのに、
まるでその後の60年ほどが完全に決まっているかのように語る人がいる。

今まで定期的に自発的に内省してきたとか、
昔から抱いている夢を追いかけている人ならいいんだけど、
直前に決めた自分をずっと抱え込むのは良いことなんだろうか、と思う。

過去の失敗から自分の能力不足を学ぶこともできるが、
それと同時に「自分は失敗する人間だ」とか
そういう負のイメージも学ぶことになる恐れもある。
(一方で「リスク回避能力」のようなものも学べるかもしれないが)


僕は人生に無駄なことなんて沢山あると思っているし、
先に繋がらないものだって沢山あると思う。

全ての言動に意義があると思っていては、
この先に物事を選択する能力がつかなくなると思う。

「なんでもOK。意味あるんだから」というのは良くない。

むしろ、「無駄なものは無駄なこと」だと
認識することに意義があると思う。
そして、無駄なものは気にしない。
沢山のものを抱え過ぎると次に進めない。

重いものは定期的に捨てる必要がある。
ましてや、重いものをより重くしてどうするんだろう。


確固たる目標があるのなら
それに向けて積み上げて言ってもいいんだと思う。

けれども、そんな目標が無いのであれば、
あまり重荷なんて持たずに、できるだけ身軽にして、
先入観をできるだけ持たずに、
これから見えるものを拾っていけばいいと思うのです。


眠たくて自分の書いていることの意味分かんねーや。
まぁいいや。
しゃーない。

ってな感じで。
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