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感覚が無いことを考えてしまう

考えても考えても全然分からないことがある。

美味しいって何?
愛情って何?
ハモるって何?

そういうことを学ぶには
経験(体感)と確認が必要なのだと思う。
(理論で学ぶことは経験と確認なしでもできるかもしれないが)

最近読んだ漫画に
僕は友達が少ない 1 (MFコミックス) (MFコミックス アライブシリーズ)僕は友達が少ない 1 (MFコミックス) (MFコミックス アライブシリーズ)
(2010/07/23)
平坂 読

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というものがある。

(ってか最近MFコミックスばっかり読んでるな…)

登場人物は友達が少ない(というかいない)人達が、
友達を作るための部活「隣人部」を設立し、
友達を作るために思考錯誤をしていく。

そこで、部活を設立することになる女の子と男の子の間で
以下のような会話が繰り広げられる。

男「…どうすりゃ作れるのかな…友達」

女「前の学校でも友達がいなかったのか?」

(続けて「前は人望あるやつ中心のグループ繋がりでつるんでいた」という話をする)

男「普通に友達になろうって言うのは?」

女「…そういうのはドラマとかでたまに見るけどよくわからないのだ
友達になろうと言って相手に承諾されたら
その瞬間に友人関係が成立するのか?
友達になることを承諾されて以降
全く会話しなくても友達状態は続いていると判断していいのか?」

男「…まあ そういうのがしっくりこないのは俺も同じだけど」

という会話がなされる。

(今は関係ないが、この会話の後に、
「「友達がいること=いいこと」なのは
基本的にはその通りだと思うけど
それが世間では
「友達が少ない=悪いこと」
と同義語のようになっている」
という意見があって、なるほどと思った)

僕も友達がどういう人なのかが分からない。
恋人とか親友とかそういうものもなんだかよく分からない。

好きな人達は沢山いるけれど、
彼らが友達なのか、親友なのか、恋人なのか、判断できない。

友情があるのが友達ならば、友情とはなんなのだろうか。
恋愛感情があるのが恋人ならば、恋愛感情とはなんなのだろうか。

僕も彼ら(登場人物)もそれが理解できないのだと思う。

「この人たちは友達です。」と紹介された人達と紹介者の関係を見ていると、
それが「友達」だとひとくくりにできるような一様な関係には僕には見えない。

「友達でない人」と「友達」と「親友」の違いを見分けることができない。

でも、じゃあ「好き」が分からないかと言われれば、
説明はできないけれども、感覚は分かるのだ。

きっとそういうことを学ぶには、
教えてくれる人が必要なんだと思う。

人によって感じている感覚が違うということは関係ない。
それがもしずれていたとしても仕方が無い。

そんなことは関係なく「これは友達ですよ」と教えてくれる人が必要。

(もし、その時に教えてもらう側が不の感情を抱いていたら
こういう事件になってしまうのかもしれないが。)


今日読んだ、
ばもら! 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)ばもら! 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
(2009/09/23)
長田 佳巳

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でも、
最近流行っている
君に届け 1 (マーガレットコミックス (4061))君に届け 1 (マーガレットコミックス (4061))
(2006/05/25)
椎名 軽穂

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でも、友達がいない主人公に、
「これが友達だよ」or「私たち友達じゃん」という
"先輩友達"のような存在が友達とは何なのかを教えてくれる。

それはまるでキュリー夫人が
触れて見せて、「これは水です」と教えてもらったように。

誰かから教えてもらわなければ分からないものは沢山ある。

刷り込み形式で何かを教わらないと、
他のものを学ぶことができない。

「ぱぱ」「まま」「まんま」などを褒めてもらう事から言葉を覚えていく。

その為には、感覚を分からせてくれる人がいるのだろうと思う。
それは親、親戚、先輩、後輩、同級生、生徒、様々な人がしてくれる。

彼らが
「これは愛情です」
「私達は友達です」
「これが美味しいものです」
と幼児に教えるように教えてくれる。

しかし、そういう感覚が無い者は問うてしまう。
そして、相手は言葉で答えようとしてしまう。

「愛情とは○○で△△なものだよ」
「友達は■■と××と★★がある関係かな」
「美味しさとは◎◎と□□と●●の多寡によって決められる」

そう答えても、さらに疑問が生まれる。
「○○とは?」
「それがあれば全員友達なの?」
「□□ってどうやって測るの?」

そして、堂々巡りが始まる。


例え辞書を調べても

「あい‐じょう〔‐ジヤウ〕【愛情】
1 深く愛し、いつくしむ心。「―を注ぐ」
2 異性を恋い慕う心。「ひそかな―をいだく」」

と書いてある文字情報を理解できるだけである。


愛情は愛情を知っている人に教えてもらうしかない。
音感は音感を持っている人に教えてもらうしかない。

ある程度からは自分で発展させていけるのかもしれないけれど、
その元となる感覚は相伝してもらう必要があるのではないか。

逆に、教える側に立った時は
言葉で説明してもどうしても分からないことに関しては(よくあることだが)、
分かるための経験と確認を与える必要があるのだと思う。

山本五十六の有名な言葉である
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
は、学習の効果をあげる方法として知られているが、

これは経験や承認の要素を取り入れる事によって、
この方法はいかに多くを学ばせるかだけではなく、
一人では学ぶことができないような種類の事を学ばせる方法をも
示している言葉なのではないかと思った。

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