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普通→個性的→変態→病気→?

最近、漫画を物色しているときに
いろんな漫画の帯に「この作者は変態です」みたいなことが
よく書かれている気がする。

変態ってもっと非難されてきた存在だった気がするけど、
いつの間にか世間でも受け入れられるようになった。

一方で欝などの精神病の種類もどんどん増えてきて、
それに比例して病人とみなされる人も増えている。

たとえば、変な度合いが増すごとに
普通→個性的→変態→病気という風に認知されるとすると、
人の分布はだんだん右側に動いていっているのではないだろうか。

昔は右へ行くことに抵抗があったけれど、
今では右へ行くことへの抵抗がなくなってきている気がする。

昔はどうしても自分を枠に入れられなかった結果、
右側の人間になってしまう(であると分かる)、というのが、
たとえば、「僕は変態だよ」と日常の会話で
気軽に言えるような世の中になった。

むしろそういう人たちに「変態枠」とでも言えそうな画一性をも感じる。

就職活動では自分の個性を見出そうとし、
友人との会話で自分のフェティズムについて暴露しあい
(つまり誰もが変態性を持っている前提で話をする)、
しんどい時に「俺、鬱かもしんない」と安易に発想できるようになった。

こういったことを通じて、
少しずつ異常への抵抗感が薄れているんじゃないだろうか。

むしろ望んで異常になろうとしている人も増えているように思う。
(ネットの普及でそういう声が聞こえるようになったのかもしれないが)

そして変だということへの抵抗感が薄れるにつれて、
変だとみなすことへのハードルもが低くもなっている気がする。

みんなが変になれる、変で当たり前だという前提で話ができるようになるには、
みんなが変になれるように「変」のハードルを下げなければいけないからだ。

そして「変であることが当たり前」というおかしなことが常識になっていく。

病気でさえも簡単に手が届くようになってしまっては、
言ってみれば「本当に異常な人」はどうみなされるようになるんだろうか。

つまり、枠に入ることができなくて、
気づいたら外にはみ出て戻れないような人は。

今まで社会はそういう人に
不自由をさせながらではあるが、保護をしてきた。
(周りの人に受け入れられているわけではなかっただろうが)

変が普及してしまえばその保護が多くの人に割り当てられ、
一方でその保護を支える人が少なくなっていくのではないか。
(でも「個性的な人」が生産性の源なら後半は違うけれど)

定義的には病気が保護対象のはずである。

しかし、病気が普及してしまっては保護が分散するし、
程度の甚だしいものはそれ相応の大きな保護を受けるために、
次の段階を作る必要があるのかもしれない。

それが間違っても「人間失格」等といった排除対象に
なってしまってはいけない。

変であることは後から突きつけられる強烈な事実であり、
求めるものでも自分で決めることではないのではないか。

それが安易に使われすぎているような気がする。

最近、変態・病気・おかしい・異常という言葉を
なぜか頻繁に聞くことがある気がして、違和感を感じていた。

変の普遍化によって本当に保護すべきものが
何かが見えなくなりつつあるような気がして少し恐ろしく思う。
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