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「基本的なこと」の勉強をしている

学びたいことは沢山あるのだけれど、
その中で、何を自分は学ぶのが良いだろうかと
最近、特に論理学の勉強を始めてから、考えるようになった。

もちろん、趣味での読書では何を読もうが関係ないが、
それが少しでも以降の仕事に繋がるなら、それにこしたことはないだろう。

しかし、どういうものが自分の専門分野になるかは
就業後の配属次第によって変わるため、
変に何かの部署に特有なことを学ぶのも憚られたので、
もっと基本的・根本的なことから考えて、
確実に自分が必要とするだろうことは何なのかを整理してみた。

そうすると、
「①日本語で、
②できるだけ速く、
③できるだけ広い情報を、
④正しく応用して
⑤【自分の専門分野】で
⑥価値を生み出す」
という枠組みはおそらくほとんど外れないはずだという結論に達した。
(このように分類すると、「英語・IT・会計を学ぶべき」という言説にも納得できた。
英語は③を、ITは②~④、会計は⑥に対して大きな貢献をするのだろう)

ここで、⑤は不明確なので今は放置しておいて、
①~④、⑥は今からでも対策は十分可能だと思い、
それらの学習あるいは訓練を行っている。

それぞれ
①日本語の文法の学習
②速読の講座受講
③英語(特に今は発音)の訓練と歴史系の読みものを読む
④論理学を中心に、その他、簡単な哲学など
⑥財務諸表の学習(でもこれはちょっと後回しのつもり)
というようなことに取り組んでいる。

それぞれが今まであまり真剣に取り組んだことのない内容、
あるいは訓練方法なので、意外になかなか楽しめたことは幸運だった。


そして、これらの学習や訓練をする際は、
「基本的なことから学ぶこと」を意識している。

実践は基本の組み合わせ(応用)で成り立つことが多く、
基本的事項は評価基準にもなりやすい、
という2点が基本を重視する主な理由である。

この場合の「基本」とは何を指しているかというと、
「仕組みやルール」と「要素」のことである。

たとえば、
語学では、仕組み=文法、要素=単語 を指す。

しばらくは、この基本を大事にしながら学習しようと考えた。

というのも、実践やケースから全てを学ぼうとしても、
実践で経験できることには偏りがあるし、回数に限界がある。

実践のみから判断しようとすると、
何が応用で、何が基本的な事項か、
何が正しくて、何が間違っているか、
を感覚や雰囲気を元に判断しなければならない。

しかも、有識者がいなければ、
それが答えかどうかを組織内で誰も判断できない。

結果、経験の長い者が判断基準になることがよくあることだと思う。

彼ら(経験者)に対して、反論しようと思っても、
反論者が同様に外部に基準を持たなければ(≒経験を元に主張すれば)、
そこに議論の余地はなく、水掛け論や好き嫌いの話でしかなくなる。

それでは、自分も、相手も、
お互いの所属する組織やプロジェクトも、
評価が出来ないため、判断などできるはずがない。
そうなれば、いつまでも、発展や成長を考えることもできない。

だから、ある程度明確に形や枠組みが決まっているものは、
まずそれを、特に「仕組み」を、学ぶところから始めるべきではないかと考えた。

それが議論における共通の土台になりうるし、
お互いが納得できる評価基準にもなりうると思ったのだ。

では、自分は何に関する「基本」を学ぶべきなのか。
まずは、「自分にとって確実に使うもの」である必要があると考えた。

ここで、「日本語を学ぶべきだ」と気付けたのは幸いだったと思う。

自分は日本人であり、少なくともこれからしばらくは日本語で生活する。

しかしながら、
「自分は日本語を使える気がしてるけど、実は全く知らない」
ということに気付いた。

よく考えてみると、日本人である自分にとって、
日本語は生得的な長所の一つであるはずだけれども、
意識的にその訓練や学習をしたことはほとんどなく、
また、多くの日本人も同様だろうということに気付いた。

特に、2年間、自分が留学生のチューターとして、
日本語の指導をしていた時、
彼の日本語が合っているかどうかを
"感覚的に"気付くことができ、添削することはできたが、
それを上手に理論的に説明することはほとんど出来なかった。

せいぜい、英語を少し使いながら、
「この単語はこういう感じ」程度のことしか教えられなかった。

その頃、たまたま、論理学を一から勉強して、
「基本的な事項に立ち返る必要があるんじゃないか」
というぼんやりした思いを抱いていたというのも相まって、
「非常に基本的なこと」であるはずの日本語能力
の無さを放置しておくのは非常に勿体ないと気付いたのだ。

そこで、自分の今から学ぶべき基本的な事項を先ほどの①~⑥のように
整理した時に改めて日本語を学ぶ重要性を認識したのだった。


巷では、英語や中国語を学ぶことの重要性が叫ばれていて、
情報へのアクセス可能性を考えるとそれも理解できるし、
自分も英語の発音に関しては別途学習というか訓練を始めたのだけれど、
母語以外の語学を体系的に学ぶにあたって、
まず「語学」というものを理解することが必要だと思い、
それを実現するための近道は日本語だと言えないだろうか。

実際に勉強してみると、
高校までの日本語の文法学習は、
結構抜けやモレがあることに気付き、
しかも、大学で使うレベルの文法書を読むと、
日本語の文法を学ぶだけでも
他言語、特に英語との共通点や差異にも気付けることが分かった。
(該当書籍では言語学的な解説がされていて、
その点は過去に学んだ英文法と非常に似通っている部分があった。
実は、高校までで日本語より英語の方がしっかり文法を学んでいたのである)

また、これから海外から来た人達とも一緒に働くときに、
自分が自国語の基本的なルールを理解していて、
しかも応用にも対応できる人であることは、
彼らに対する貢献にもなるのではないだろうか。
(そしてうまくいけば彼らの言語も教えてもらえるかも…なんて思っている)


こんな感じで②以降(つまり日本語以外)に関しても、
基本的なことを重視しながら、ゆっくりだけれど、
今までに実感したことがないぐらい着実に歩を進められているように思う。

もちろん、最終的な実践の質は、
基本+応用によって決定されるわけで、
特に②以降は応用力をつけたり、要素の暗記の為に
経験や訓練をこなすことが必要であることは分かっているし、
それも次に取り組まないといけない。

とはいえ、とにかく、
何よりもまず「立ち返る基準」を学ぶことが必要だったんだなということは、
学びの途中である現在、強く実感できていて非常に喜ばしい。

それによって自分がどれほど進歩しているかが測れるし、
人への説明もでき、経験への固執に囚われることを避けられる。


今まで、急がば回れ、とか、基本が大事、とかいう表現は、
なんだか分かるような分からないようなイマイチ掴みどころのない表現だったけれど、
(「回るってなんだよ」とか「基本ってなんだよ」とか思ってた)
基本=「必ず通り、立ち戻るであろう、基準となる体系的なもの」
なのではないか、と理解してからは、
とても現実感のある表現として見られるようになった。

明らかに、今やっていることは学部の教養で見に付けておくべきことなんだろうが、
現在、自分に身についていないことであることは疑いようのない事実である。

これを無視していては、
何を学んでも、一定以上は積み上がっていかないような気がするので、
自分が数年遅れているという事実を潔く受け入れて、
初学者として少しずつでも確実な歩を進めないといけないのだと思ってやるのみである。

自分には少しずつ積み上げていくことは向いていないと思っていた時期もあるけれど、
それはやり方が間違っていたんだと、この年になってやっと気付いた。

あぁ。
人生のうち長い時間を無駄にしたなぁ。
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