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携帯を持たずに、考えられた一日。

今日は一日、携帯を持たずに過ごした。

新橋から青山、表参道、恵比寿とあてもなく自転車で移動し、最終的にはふと思いつきで新しい部屋探しをした。

道中、色々なものを見つけ、おもしろそうだと思うととそちらに向かい、興味のままに街をすり抜けていった。はじめは写真を撮ったりつぶやいたりしたがる右手を諫める必要があったが、最後には自分のためだけの時間を楽しむことができた。

携帯電話が無い時間は、「携帯を見ることを忘れるほど夢中になっている時間」とは、また違うものだった。

ここしばらくは細かく目の前の時間を切り取り、書き残し、共有することが癖のようになっていたように思う。一日を思い返して話すときには、細かくつけた目印を順々にたどるように語るようになっていた。すこし前の自分の言ったことをすべて大事にしたかったのだと思う。

細かな記録をせずに、外から突然干渉されないような、そんな一日を過ごした後に振り返ると、「細かく目の前の時間を切り取ったときの自分」とは明らかに違う振り返り方をしていることに気づく。

丁寧に、細かく、目の前にあったすべての時間を大事にする自分は、ここにはいない。

考えてみれば、一日を振り返るときに、すべての出来事を平等に一つ一つ話してしまっては楽しくはなりそうにない。それは聞く方も楽しくないし、話す方も大して楽しくはない。過去の一つ一つの行動から強制されているようで、息苦しささえ感じる。

ずいぶん前から、「細かく出来事をつぶやけるようになって、日記が書けなくなった」という声を聞くようになった。それは、「手軽につぶやけるようになったから」だと多くの人が説明しているようだが、実はそうではなくて、「おもしろく一日を語れなくなったから」のように思える。

細かく目の前の物事を書き留めない日々を過ごしてみると、「覚えておきたい」とそのとき思ったことの多くは忘れているけれど、「出会った出来事の描写ではないもの」に気づき、一日を編み直すことができる。

以前、いざ文章を書こうとすると、過去の自分が気になって手が動かなくなっていたことが嘘であるかのように、今は、楽しく、自由に、あのときの自分を加工する事ができる。

細かく切り取る自分と、それができない自分の両方を想像することができることも面白い。細かく切り取る自分には、それができない自分が感じるであろうことを想像もできないと思う。

持たない自分は持っている自分を想像できて、持っている自分が持たない自分を想像できないというのは、不思議なことだと思う。「失ってみるまで分からない」というのはこういうことの延長なのかもしれない。

目の前にある出来事を、短い文章で、すぐに、誰かに向かって、届けるとき、その言葉は短い枠に収まるように終わらせなければいけない。そのあとに何かとつながって、より面白くなったり、大きくなるかもしれない可能性を断ち切って、小さくまとめて終わらせてしまう必要がある。

一度終わらせてしまうとそれは一つの固まりになってしまって、紐解いて編み直すことは難しくなる。終わらせた形のまま並び換えるくらいしかできなくなってしまう。過去の自分が、みんなに何を言ったのかが気になってしまうのだろう。

過去の何も知らない自分に、色々なことを見てきた自分が縛られてしまっているとは、なんて面白味のない過ごし方をしてたのだろう。

些細な目の前の出来事を一生懸命飾り付けようとしていた自分を振り返っても、楽しいわけがない。寂しくて、みすぼらしく感じてしまうだけだ。

便利だと思っていたものは、自分自身をも便利なものにしていたのかもしれない。便利なものは面白くない。

こうやって、自由に書き綴っていけばいくほど、今まででは同じような形で繋ぎ留められていた一日が、そこにいた自分には思いもよらないものに作り直されていく。そこにいた自分を弄ぶこともできる。

手軽に、みんなに、届けることができる便利なモノが、いつの間にか、自分自身を、手軽に、みんなに、届けることができる程度のモノにしていた。

一日を自由に振り返ることができる自分が面白いかどうか分からない。こうやって一日に感じたことを書き綴って終わらせようとしているいまの自分に気づくと、たとえば一月ほど何も書き留めない方が、面白く自分を編み直すことができるのかもしれないと思ったりもする。

それでも、目の前の出来事や、目の前にあった出来事のみに縛られて考えなければいけないのとは、はるかに自由さが違う。今は、一日を一日という枠だけで捉えてもいない。今日以外のものも自然に貼りついて編み上げられていく。

目の前にあるものを目の前にあるようにだけ捉えてしまうのは、残酷すぎて面白くない。目の前にあるものを目の前にないものになるまで編み上げていく方が面白い。

思えば、人と話すとき、人と過ごすときも、目の前のことに囚われがちになっていたような気もする。

もっと自由でいいのに。もっと話を拡げてもいいのに。嘘になってもいいのに。

もうすぐ死んでしまう人であるかのように、今の自分をすぐに切り取ろうとしなくていい。もうすぐ死んでしまうかもしれないけれど、格好悪いのは死んでしまうことがわかった時だけでいい。

今日は、最近ずっと気になっていた、「日々面白くなくなっていく自分」から、少し抜け出せるような、そんな予感を抱いた一日だったように思う。
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まとめ【携帯を持たずに、考え】

今日は一日、携帯を持たずに過ごした。新橋から青山、表参道、恵比寿とあてもなく自転車で移動し、最終的

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