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地球への一方的な交渉を改めないといけない気がする。

昨日は谷町線の天王寺駅で誰かが線路に侵入したせいで、
電車が止まりました。
http://www.sankei-kansai.com/2009/05/01/20090501-009393.php

最大10分って…もっと待ってた気がするんやけど。

僕は被害者の5200人の中の一人です。

結局、乗り継ぐとしても中途半端な駅だったし、
電車がいつ動くか分からなかったので
タクシーで乗り換え駅まで行きました。

僕は少しでも目的地に近付いている感覚がないとダメなようです。

僕は友人との待ち合わせに30分遅れました。
僕は相手がやさしい人だったし、
遅れることで内容に大きい影響を与える約束ではなかったから良かったものの、
(それでも他人が僕の大事な人に迷惑をかけているので憤慨しているのですが)
この10分のせいでどれだけの人が何かの機会を失っているか。

日本の電車は時間に正確で、いろんな人が信用のもとに利用しているものなのに、
ただの酔っ払いがそれを乱すことは許されるんですかね。

10分×5200人=52000分≒900時間≒37日も無駄にしているんですよね。

少なくともそれくらいは懺悔の時間にあててほしいものです。
それに加えて何人かの機会の喪失は返せないもののはず。
どうにかして社会的制裁を受けてほしいなぁ。と思います。


ところで、題名の件なのですが、
そろそろ人間と地球との交渉で、人間も妥協案を提示しないといけないと思います。

最近、「エコ」がすっかり世間をにぎわしているようですが、
「エコ化」の対象に人間も入れなければいけない気がします。

今までは「環境問題」などと叫びながらも、
地球に甘えて、人間は自分たちを「傷つけない範囲」で
地球環境を守ってこようとしてきたように思えます。

それじゃもう無理があると思います。

極端な例ですが、もう人口減らせばいいと思います。

世界人口は地球の許容量をすでに超えている気がする。
しかも、増加の一方を辿るんですよね?
人間が人間を無条件に尊重しようとする限り、
共倒れに陥るような気がしてなりません。

このまま増えていくと、誰が人間を養うんですか。

人間は自然の摂理である
「自然淘汰」という法則からも脱却しようとして、
どれだけ弱くても同じ種族を守ろうとする。

そのツケが回ってきているんだと思うのです。

不謹慎かもしれないけれど、
今回のインフルエンザのことを知ったとき、
地球の意思のようなものではないかと考えました。

天空の城ラピュタでムスカがやろうとしていたことは
今、人間が地球にやっていることは同じことではないか。

人間の価値を無限大に持ってくる考え方には
そろそろ限界があるように思えてなりません。

昔は食料を含めて、資源が無限にあるように思えたからよかった。
でも、食料生産技術の進化も人類の消費スピードに追い付かない気がするんです。

じゃぁ、人類の消費か人口を減らすしかないじゃないか。
口先だけじゃなく、本気で。

一番手っ取り早いのが人口を減らすことですね。

こういう、人間同士の件ではないときには
「殺」や「傷害」という言葉に対して負のイメージを感じるのは
人間の勝手な考え方なのかもしれません。

人対人では負のイメージをもって当然だと思いますが。

ここでは「人間の削減」ぐらいの感覚でとらえないと地球にとってフェアじゃない。
世界の政策として、長期的な地球、あるいは人類の繁栄を考えると、
それほど不自然な考え方ではないと思うのですが。

どういう切り口で削減するのかは協議すればいいと思います。
犯罪者か、反逆者か、力の弱いものか、頭が悪いものか、過激派か。
それで僕自身が対象になるのかもしれませんが、
もし、そういう流れで世界が動いたら、そういうものなんでしょう。

僕が人を殺したいとか、自分が死にたいとか、
そういう議論ではないということははっきり述べておきます。

僕は楽しく生きたいし、みんな幸せに生きたいのは分かっている。

でも、現代を考えてみると、昔、根拠なく信仰されていた「人柱」の
意義が出てきている気がするのです。
本当に地球のためになるんじゃないかな。と思うのです。

今、世界は一切れのパンを10人で分けなければいけない、
そういう方向に進んでいるような気がします。
それでいいのでしょうか。というか、大丈夫でしょうか。

この言葉はきっとあまり広くは広がりません。
きっとあまり多くの人の心にも届きません。
対象者にとっては非常に厳しい現実を招く考え方だから。
最低限の安全の保障は皆が守りたいことだと思います。
でも、それは地球にとって「自分勝手な意見」だとも思うのです。

でも、きっと受け入れられないので、ほかの案を探しましょう。
ということで、「本気のエコ」が必要だと思います。

どうしても「人類削減」の考え方が嫌というなら(というか嫌と言うんでしょうが)、
全人類が義務として地球環境の改善に取り組まないといけない気がするんです。

エコに取り組むか罰するか。の2択にすればどだろうか。
「罰する」というのは削除という考え方も含めてもいいかもしれない。

今、基本的人権の尊重の前に、基本的地球権の尊重が
制度として必要だと感じるのです。


でも、僕は電気を使うのをやめたりしません。
弊害が多すぎるから。
それに、そんなことでは世の中は変わりません。

それをするなら、自分の成長に影響が無い分野でエコにとり組み、
一方で自分が成長し、発言力を持った上で
エコについて声高に訴えるほうがいいと思うんです。


削除だとか、今回の文章について過激だと思ったでしょうか。
では、地球の側に立って、人類が地球にやってきたことを
思い出して考えてもそう思えるでしょうか。

どうしても地球の側で考えられないという人は、
「地球君」という自分に優しい人物を想像してみてはどうでしょうか。
今までわがままを通しすぎだったように思えないですかね。

なんだか消されそうで怖い日記だけど、アップしますよ。
この日記を消そうとする人はきっと人間にとってとても優しい人なんだろうな。
短期的には。
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