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僕が幸せになる方法

その1.「ぴったりは可能」という考え方ができるようになる
その2.「幸せ」を範囲として考えるようになる
その3.「幸せ」は幸せ度+∞の点ではないことを納得する
その4.「幸せ」を二元論でとらえる

つまり、僕は「幸せになる」ってことは、
「これ以上無いぐらい幸せな気持ちを感じる」ことと捉えているから、
幸せになれないんです。
もし、「ここからは『幸せ』」とみなすことができれば幸せになれるんだろう。

僕には幸せを積み上げていくことしかできなくて、
僕にとっての「幸せポイント」は遥か彼方にあるから、到達できない。
あるところまで行ったとしても、それより先に「幸せ」は存在する。

そして、現時点での幸せ度っていうのも、
人間の感覚には誤差が生じるせいで、はっきり認識できるものではない。
つまり、「すべてが誤解」という考えが根底にある。

だから、「幸せというポイント」にたどり着けると確信できることは
おそらく、これからずっと無い様に思える。
「確信する」ということができなくなってしまった。

頭の中にこのような「『誤解主義』を本気で信じた」という経験がある限り、
何かを確信しようとしたときに、「それは誤解だ」という考えがよぎり、
結局、100%の確信を持つことなんてできない。
記憶を喪失するような出来事が無い限りは。


「誤解主義」というコミュニティを作ろうと思います。
僕には全てのことが誤解である気がします。(これも誤解かもしれません)
相手のことを理解することなんてできない。
物事の真理を理解することなんてできない。

人間が主観的である限りそこに誤解が生まれる。
僕が見ている景色は他の誰の景色とも違う。
客観的に見える「1+1=2」を見ても見る人によって意味が違う。
誤解が生まれる。

決して臆病なわけではない。
むしろ、「完全に理解できる」と思いこむことの方が僕を臆病にする。
もしも、完全に理解している点に立っているとすると、
そこから動くことが全て不理解方向だということになる。

ただ、あらゆる物事が変化すると考えると、
いわゆる「完全理解点」を維持するのはほぼ不可能に近い。
その点でさえも動くのだから。

そこで、「自分は誤解している」というところに立ち、
できるだけ、幅を小さくしようと考える。
できるだけ相手に近づこうとする。
常に「相手への方向」が存在する。
でも、誤解は完全に解けはしない。

しかし、こう考えることは悲観的ではないと僕は思う。
むしろ、こう考えることで、能動的になれる。
だって、到達点に達しないから、決して満足できないんだもの。
だから、動くしかない。

「成功体験を積んで自信につなげる」という考え方は自分にはできない。
だって、真の「成功」なんてないんだもの。
自分にとっての真の「成功」はもっと上にあるはず。
もし、成功しただなんて思ったとしたら、
僕は「改善点を見つけられない自分」に落胆してしまう。

自分が完璧だとしたら、「前向き」にはなれないと思う。
だって、もう「前」がないから。

全てが誤解である、というところに立つことで生まれる自信。
いわゆる、積極的な諦め。「持てる」ということの放棄。
これによって、自分の臆病さが軽減されたように思える。

全ては誤解である。
これも誤解かもしれない。
けれど、僕と言う人間にとって、この部分に対しては
論理が全く力を持たない。



幸せになることは最近、捨てました。

でも、もし自分の考えが誤解だったとしたら、
幸せになれるのかもしれない。
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