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富で解決するのではなくて、頭で解決する

日本には他の国と比べてもかなりの裕福さがあると思う。

個人単位で他の国に援助を行おうと思えばできるぐらい裕福な国なんだと思う。

同時に、それなりの知識や知恵を得る方法やツールも存在している。

しかし、他国や他文化との交流において、
日本人の行動の多くは最終的に「お金で解決する」という手段に終わっている気がする。

何かを作る、与えるだけでなく、
彼らが作る、生み出せるように取り組むことはできないのだろうか。

もちろん、こっちで何かを作ったり、何かをあげたりすることは手軽だけど、
それは短期的な解決にしかなっていなくて、下手すれば自己満足だけで終わったり、
抗争の種を植え付けてしまう結果にもなり得る。

一方的に与えることの弊害にはとっくに気付いている文化であるはずなのに、
国内のことで無くなると、その考えはどこかに飛んでしまっているような気がする。

それは海外への援助活動だけでなく、
日常での外国の人との接し方でも(ex.地図を使って目的地を聞かれたとき)。

その時って、地図の読み方をアドバイスする方がいいのではないか。
あるいは、ランドマークを示してあげる方がこれからのためにいいのではないか。
そんな思考が浮かぶこともなく、目的地への行き方だけをつい教えてしまう。(僕は)

発展途上国に物資を提供する。
相手が戦後などなら仕方が無いのかも知れないが、
そうでないのなら、良く言われることかもしれないが、
「考えさせる」「やり方を提供する」などのことの方が重要なのではないだろうか。

そういうことは知っているのに、
いざ自分がその場に立つとなるとお金や即物的な考えが先行してしまう。
そんな気がするんですよね。

例えば、お金を集めるにしても、
日本は街頭募金以上のことは色々できる国である気がするんですよ。

あの駅前での非効率的な労働をするのではなく、
募金箱はどっかに設置&少人数で管理しておいて、
他全員で普通にアルバイトした方が安定的にお金たまるんじゃない?

「色んな人からお金を集めたい」というのは自己満足だと思うし、
与えられる側としてはどういうお金でも沢山あればいいと思うんだけど。

でも、援助する側の人はそういう自己満足を求めているだけなんですかね。
そうだとしたら、お金でも施設でも機械でも買い与えとけばいいと思うけども。

「気持ちを込める」と思っていることが自己満足であるということは良くあることだけれど、
そういう事実を知っている、学んできた国だからこそ、
その過程を経験したからこそ得たものを使うべきではないのだろうか。

お金と言う結果の余剰分をばら撒くのではなく。

「難しい」と思うかもしれないけれども、
だからこそ生産的な知識や知恵を持つ者がやる意義があるのだと思う。


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