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自由の形

FFT(ファイナルファンタジータクティクス)の一場面の主人公のセリフ

 自分の力で勝ち取らない“自由”に
 何の意味がある?
 人間は“誇り”を失った瞬間から
 “自由”ではなくなるんだ!
 おまえのように“誇り”を失い
 貴族の顔色を窺った瞬間からすでに、
 “自由”を放棄していたんだ!
 この世に“平等”なんてあるものか!
 “平等”は与えられるものじゃない!
 自分で勝ち取る“権利”なんだ!!


読み取り方によって賛成できるし、反対もできる。

僕は“誇り”を「制約」と考える。
制約をなくした自由は自由でも何でもないと思う。
(それが自由だという考え方もあるだろうが)

制約の中で、自分の思い通りにできるかどうかが、
自由であるかどうか、ということなんだと思う。

制約がなくなれば、僕は苦しい。
自由と言うには世界は広すぎる。
選択肢が多すぎることは不自由であることに気づいた。

ただ、貴族の顔色を窺うことは自由へつながる方法かもしれない。
そうやって平等を勝ち取ることは悪いことだと思わない。

現代では誇りと言う制約は与えられなくなった。
自分で誇りを作るしかない。

遠くに自由に飛ぶためには、自分で自分を制約する必要がある。
ホースで水を撒くときのように。

少し、自分に対して緩すぎたのかも知れない。
もう少し枠をはっきりさせないと、自分が薄くなってしまう。

誇りを持つって考えられると、
もっとかっこよく生きられる気がする。
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